「悪い伴走」の正体

※本稿では、教育現場の葛藤と「悪い伴走」の克服について考察します。

主役の「探究の芽」を摘むのは誰か

最近、教育の現場では「主体性」「対話」や「アクティブ・ラーニング」、そしてもちろん「探究」という言葉が飛び交っています。子ども達には受け身ではなく、能動的に動いてほしい。そう願う大人たちのおもいとは裏腹に、皮肉な現象が起きているように見受けられます。それは、大人が「アクティブ」になりすぎて、子どもの「アクティブ」を殺してしまっているかもしれないという現実、そして反省です。

今回は、私達がつい陥ってしまう「悪い伴走」の正体を暴いていこうと思います。それは単なるスキルの欠如ではなく、私達の心の奥にある「焦り」と、それを作り出す「構造」に根ざしているのではないでしょうか。

プロアクティブ(先回り)という名の「暴力」

「良い教師」でありたいと願うほど、大人はプロアクティブ(主体的・先回りするよう)に動いてしまいがちです。子どもが躓きそうになれば先に石を拾い、迷いそうになれば正解への標識を立て、時間が足りなくなれば背中を強く押そうとしてしまう。

しかし、伴走における「プロアクティブ」は、時として子どもの権利を奪う暴力にもなりえます。子どもが試行錯誤し、悩み、自ら答えに辿り着く。その「探究のプロセス」こそが、学びの本体・本質であるはずなのに、大人は先回りして「効率」という名のショートカットを提供したくなりがちなのです。しかし、その瞬間、貴重な経験値を得るはずのその機会が、子どもの目の前から消滅していってしまいます。大人が動けば動くほど、子どもは「自分で道を切り拓く力」を剥奪されていくのです。

「リアクティブ」という名のプロの矜持

伴走者にとって真に求められるスタンスは、プロアクティブではなく「リアクティブ(反応的)」であることです。これは「何もしない」ことではありません。主役が助けを求めた瞬間に、最適解を、最適な解像度で提供するために、極限まで神経を研ぎ澄ませて「待つ」という高度な知性であり、技術です。その時、何が真に最適かを瞬時に判断し、提供できる伴走者の技量です。

子どもが自分で立ち上がるのをじっと見守る。助けを求めるサインを見逃さない。主役が「自分一人でここまで来られた!」と誇らしく笑える舞台を整える。この「受動的で見守り的な強さ」こそが、自立を促す最高の伴走なのではないでしょうか。もちろん、そこでも、差し迫った危険がない限り、「答えを直接伝える」のではなく「子どもに自分で考えさせるきっかけを与える」という姿勢は、保たなくてはなりません。

【道具箱】「連行」サインを見逃さないために

下記に、大人が自分の状態を客観的に見るためのチェックリストを考えてみました。知らず知らずのうちに、伴走ではなく、「連行(無理やり連れて行くこと)」するようなことをしていないか、気になる方は試してみてください。

伴走者レベル診断:あなたの「プロアクティブ度」セルフチェック

[  ] 沈黙に耐えられない: 子どもが考えている数秒の沈黙に耐えきれず、つい助け舟(ヒント)を出してしまう

[  ] 答えを誘導している: 問いかけの形をとりながら、実は自分が用意した「正解」へ誘導するような質問をしている

[  ] 「時間がない」が口癖: カリキュラムの進度を気にして、子どもの寄り道を「ロスタイム」だと感じ、子どもを急かしてしまう

[  ] 失敗を未然に防いでいる: 子どもが痛い目を見ないように、あらかじめ障害物を取り除いてしまっている

[  ] 「教えてあげた」ことに満足する: 子どもが自ら発見した喜びよりも、自分がうまく教授できたことに達成感を抱いてしまう

[  ] 常にロープを引っ張る側にいる: 子どもが引っ張り、そのペースに自分を合わせるのではなく、常に自分がリードしてロープを引っ張っている感覚がある

※3つ以上当てはまる場合は要注意。あなたは伴走者ではなく「連行者」になってしまっているかもしれません。

誰がロープを引いているのか: 「焦り」の構造

なぜ、これほどまでに私達はプロアクティブになってしまうのか。それは、教師自身もまた、背後から「太いロープで引かれている」からではないでしょうか。そうです。前方からではなく、後方から引き戻されるような感覚です。「いつまでにこの単元を終わらせなければならない」「評価のために、目に見える成果をいち早く、確実に出さなければならない」等々。管理職、監督機関、保護者、そして社会全体の「効率」や「目に見える成果」を求める視線が、教師達から「待つ勇気」を奪ってしまっているのかもしれません。

教師に対する評価が「ちゃんとカリキュラムをこなしたか」という一点にある限り、教師は自分の身を守るために先回りせざるを得ないのかもしれません。この「連行の連鎖」こそが、教育現場を窒息気味にさせている真の犯人なのではないでしょうか。

知恵と勇気の「連帯」でシステムをアダプト

この絶望的な構造的状況をどう乗り越えるか。その鍵は、現場の「連帯」にあるのではないでしょうか。一人で戦うことは得策ではありません。管理職もまた、上の組織との板挟みで苦しんでいるかもしれません。だからこそ、「今日はここまでしか進めなかったけれど、こんなに素晴らしい子どもの気づきがあった」という価値を先生間で共有し合いましょう。その際、エピソードの披露を、できるだけ具体的に行うようにします。それが気づきとなりヒントとなって、翌日以降、他のクラスでも雰囲気に変化が見られるようになるかもしれません。

「働き方改革への圧力」もあり、忙しいから、タイムリミットがあるからといって、先生が「自分の世界に閉じこもりがち」になってしまっては、後退しか生み出さないのではないでしょうか。

「予定通りに終わらせること」よりも「一人ひとりの、全員の、参加を優先すること」を尊ぶ文化・風土を、職員室も校長室も、さらに学校種も超え、そして自治体や地域の大人達も一緒になって作っていく。一人では怖い「計画の変更」も、連帯して知恵を出し合えば、子どものための「余白」を生み出す一歩目の勇気に変わっていくのではないでしょうか。

失敗する権利を子どもに返す

良い伴走者は、子どもの「失敗する権利」を尊重します。転び、膝を擦りむき、そこからどう立ち上がるかを自ら学ぶ機会。それは大人からのどんな立派な講義や助言よりも価値があります。大人が「リアクティブ」に徹すること。それは、子どもを信じているという究極のメッセージです。

伴走者の最高の仕事は、ゴールした瞬間に主役が伴走者の存在を忘れていることです。「自分の力でここまで走ってこられた!」 —— 子どもに、その輝くような万能感と自信を実感してもらえるよう、私達は「プロアクティブ」の誘惑を断ち切り、静かに黒衣に徹するようにしたいものです。

10歳からわかる「まとめ」

・「先回り」はやめよう: 大人が先に道をきれいにしすぎると、みんなには「自分で歩く力」がつかなくなってしまう

・伴走者は「待つプロ」: みんなが困って「助けて!」と言うまで、じっと見守るのが本当にかっこいい伴走者だ

・先生も実は大変: 先生達も「早く進まなきゃ」というプレッシャーの中で戦っている。大人もみんなで助け合う必要がある

・「失敗」は宝物: 転ぶのはダメなことではない。転んだときこそ、どうやって立ち上がるかを知るための、大事な経験ができる

・きみの力でゴールしよう: ゴールしたときに「自分でやりきった!」と思えること。それが、最高の探究だ

*本原稿は、ジェミ兄さんとの対話を基に構成されました。

※本稿では、教育現場の葛藤と「悪い伴走」の克服について考察しました。