
※この記事から「理科編」のスタートです。「不思議や疑問を放っておかないこと」について考えます。
覚えたはずなのに、目の前の花の名前がわからない
新シリーズ【理科(サイエンス)編】の幕開けにあたり、まずは私自身の恥ずかしい後悔からお話しさせてください。
私は大人になった今でも、花の名前や魚の名前をよく知りません。見分けることができる種類は、おそらく世間の平均よりも圧倒的に少ないだろうと確信しています。
でも、冷静に考えるとこれっておかしくないでしょうか。私は子どもの頃、学校の理科の授業で、それらの名前や分類を「暗記科目」として一生懸命ノートに書き、テストのために確実に暗記したはずなのです。なぜ、あれほど必死に覚えた知識が、大人になった今、全く残っていないのか。理由はシンプルです。当時の私は、ただ点数を取るために「楽」をしようとして、キーワードを記号として覚えるだけで、リアルに触れるという「活動」を完全に省略してしまっていたのです。これはある意味、生成AIの「記号接地問題」と通底するところがあるかもしれません。とにかく、私の理科は、ずっと教科書や参考書の中だけで完結していました。だから、目の前で実際に咲いている花や、泳いでいる魚という生々しいリアルに出会ったとき、あの頃暗記したはずの知識が全く発動しなかったのです。
定着しない暗記法で、図鑑の中に閉じこもっていた子供時代。本当にもったいなかったと、残念でなりません。
算数が面白くて、理科がつまらなかった理由
一方で、子どもの頃の私は、算数の問題を解くのが大好きでした。
学校の宿題は、先生が定着を優先してくれたおかげで、授業で習った「公式(型)」通りに当てはめればスイスイ解ける問題ばかり。これがゲームのように進むのがとにかく楽しくて、「もっと解きたい!」と、親に一般の問題集を買ってもらうほどでした。本屋で「難問」と名のつくタイトルを見つけると、大喜びで飛びつきました。当然、簡単には解けずに四苦八苦します。しかし、それこそが別の楽しみでした。あれこれと補助線を引いたりしながら、「おっ、見えたぞ。もう少しでこれ、解ける!」となった瞬間、私はきっと、自分でも気づかないうちに顔をニヤけさせていたはずです。
この算数の面白さと、理科のつまらなさの違いは何だったのでしょうか。
それは、そこに「自分の頭と手を動かす『活動(試行錯誤)』があったかどうか」です。
算数は、はっきりしたルール(型)の中で、どう工夫して答えに辿り着くかという能動的なゲームでした。しかし当時の私にとっての理科は、ただ本に書いてある記号をそのまま脳の引き出しに放り込むだけの、受動的な「作業」でしかなかったのです。活動のない知識は、試験が終われば砂のように消えていくのは当然でした。
「先に答えを見ろ」という要領主義の罠
最近の受験指導では、「考えている時間がもったいないから、先に答えを見て、解き方を効率よく覚えてしまえ」という手法があるそうです。
入試をパスすることだけが目的なら、それも一つのテクニックかもしれません。しかし、「無事入学したその先に、なんとしてもやりたいこと」という自発的な問いがないまま、ただ要領だけを覚えて通過点をやり過ごす姿には、どうしても違和感を覚えてしまいます。これこそまさに、私が子どもの頃にやってしまった「参考書の中だけで完結し、リアルな活動を省略する理科」の罠と同じではないでしょうか。プロセスを無視して要領(答え)だけを暗記しても、それは自分の血肉にはなりません。以前ここでも紹介した戦時中の教科書「初等科理科」には、「しらべてみましょう」としか書いてありませんでした。答えが書かれていないので自分でやってみるしかなかったのです。
理科は本来は暗記物などではなく、算数の難問と同じように「どうしてこうなるんだ!?」と四苦八苦しながら自然の謎に挑戦していく、最高にエキサイティングな謎解きのゲームなのです。
両親のせいにするのはフェアではないですが、理科と社会を「暗記科目」と認識させた原因の一つはそこにあったと思います。さらに、私にそれを疑う力もありませんでした。
理科編の約束:「見たら、知ったら、すぐ確かめに行く」
だからこそ、いま伴走者である私は、子どもたちにあの「暗記の砂漠」を歩かせてはなりません。
本シリーズで大活躍してもらう無料のデジタルツール『Google Arts & Culture(GA&C)』のサイエンスコンテンツを開くと、そこには教科書の文字ではなく、かつての天才科学者たちが自然界の謎に四苦八苦し、ニヤリと顔をほころばせた「生々しい活動の記録」が遺されています。
GA&Cでガリレオの天体望遠鏡やニュートンの手稿を覗けるなら、彼らの「問いの立て方(型)」を直接お手本にできるということです。しかし、そこで終わらせては意味がありません。
この理科編を通じて、親子で共有したい絶対の基本姿勢(OS)があります。
それは、「見たら、知ったら、今すぐタブレットや図鑑・教科書を閉じて外へ確かめに行く」ということです。
デジタルや図鑑で「不思議」に出会ったら、即座に立ち上がり、実際の夜空を見上げたり、庭の虫を観察したり、キッチンで実験してみる。その身体的な「活動」があって初めて、知識は一生モノの「探究のレンズ」として子どもの中に定着します。
不思議という言葉は、仏教用語の「不可思議」からきています。人間の言葉や知識では言い表せず、心で推し量ることもできない(=思議できない)ことです。これをかなり小さく捉えれば、「今、知っている『枠の中』だけでは先に進めない」わけですから、もっと手持ちの情報を増やしに出ていかなくてはいけません。ここでは、Out of the boxですね。
本の中に閉じこもる理科は、もう終わりにしましょう。次回は、科学者たちが立ち向かった「自然が定めた絶対的なルール」という、理科における「ブランドコード」について考えていきます。
(第2回へ続く)
10歳からわかる「まとめ」
タブレットをパッと閉じて、今すぐ外へ確かめに行こう!
新しいシリーズ【理科(サイエンス)編】がスタートするよ!
みんなは、学校のテストのために「花の名前」や「虫の名前」を一生懸命おぼえたのに、大人になったらぜんぶ忘れちゃった……という大人に会ったことはないかな?実は、このブログを書いているボクが、まさにそのダメな大人なんだ(笑)。
なんで忘れちゃうかというと、ただノートに文字を書いておぼえるだけで、本当の外の世界に出ていかなかったからなんだね。これじゃあ、おもしろくないよね。でもボクは、子どものころ算数のむずかしいパズルを解くのは大好きだったんだ。あーでもない、こーでもないって四苦八苦して、「あ!わかった!解けるぞ!」ってひらめいた瞬間(しゅんかん)は、うれしくて絶対にニヤニヤ顔になっていたと思う。
本当の理科も、この算数のパズルとまったく同じ!
「どうしてリンゴは地面に落ちるの?」「空はなんで青いの?」っていう、自然界の大きなナゾ解きゲームなんだ。
最近は「答えを先に見て、やり方だけおぼえちゃえ」っていう勉強法もあるみたいだけど、そんなのつまらないよね。ナゾ解きのワクワクを自分で楽しまなきゃもったいない!
だから、この理科編ではみんなとひとつの約束をしたいんだ。
パソコンや図鑑で「へえーっ!」っていう秘密をみつけたら……それをパッと閉じて、今すぐ外へ確かめに行こう!
自分の目で見たり、手でさわったりした冒険だけが、きみの一生モノの宝物になるんだよ!
*本原稿は、ジェミ兄さんとの対話を基に構成されました。
※この記事から「理科編」のスタートです。「不思議や疑問を放っておかないこと」について考えました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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