
※「介出」最終回となる第6回の本稿では、介出することにより見えてくることについて考えます。
子どもは介出で何を手に入れるのか
ここまで私は、「介出」という言葉を手がかりに、子どもが自ら外へ向かうことについて考えてきました。子どもはなぜ外へ出にくいのか。越境はなぜ子どもを変えるのか。出してみることで思考そのものが動き始めるのではないか。そして、介出を支える環境と、反対にそれを閉じてしまう環境があるのではないか。そんなことを考えてきました。そして今、最後にもう一つ考えてみたいことがあります。それは、介出によって子どもは何を手に入れるのかということです。外へ出る。違う人と出会う。別の世界に触れる。それだけでも貴重な体験でしょう。けれども、更に大切なのは、その経験をどう持ち帰るか、その経験がどんな学びに変わるのか、ではないでしょうか。
私は、その時に鍵になるのは「概念」ではないかと思っています。概念というと、少し難しく聞こえるかもしれません。けれどもここで言いたいのは、ある出来事を「この場だけの話」として終わらせず、別の場にも通じる見方や構造としてつかむこと。つまり、個別の経験を、応用できる学びへとひらいていくことです。そうすると、概念は、閉じた世界の中では見つけにくいのではないかと感じています。
今回は、このことについて考えてみたいと思います。介出は、なぜ概念の把握や、応用につながるのか。そのことを、シリーズの締めとして考えてみます。
介出の価値はただ外へ出ること自体にはない
まず、ここで確かめておきたいことがあります。介出の価値は、単に「外へ出た」という事実そのものにはないのだと私は思います。外へ出ることは大切です。違う人に会うことも知らない場に身を置くことも、それ自体が刺激になるでしょう。けれども、それだけでは、単なる経験で終わってしまいます。行ってきた。見てきた。話してきた。楽しかった。驚いた。それで終わります。
もちろん、それも全く無意味とはいえません。けれども、教育や学びとして考える時に本当に見たいのは、その経験がどのように意味づけられ、自身のものの見方がどう変わっていくのか、なのではないでしょうか。つまり、介出の価値は、行動そのものよりも、その行動がどのような学びへと変わるか、そのことが、のちに何を起こすのかにある。私はまず、そう考えてみたいのです。
閉じた世界の中では経験は経験のまま終わりやすい
教室の中にだけいる。同じ人たちの中だけにいる。同じ前提の中だけで物事を考える。そういう閉じた世界の中では、一つひとつの経験が、その場限りのものとして終わりやすいように思います。「この時の発表はこうだった」「この活動ではこう感じた」「この地域ではこうだった」——そうした具体的な経験はもちろん大切です。けれども、閉じた世界の中では、それらが「今回のこと」「いっときのこと」で終わってしまいます。つまり、経験が単純な経験のままで終わるのです。
なぜそうなるのか。それは、おそらく比較が起きにくいからでしょう。別の場、別の人、別の条件との違いが見えにくいと、その経験の奥にあるものをつかみにくいのです。個別の経験の背後に、何が共通しているのか。何がこの場だけのことで、何が別の場にも通じているのか。そうしたことは、閉じた世界の中では見えにくいのだと思います。そうなると、概念もまた、そこでは立ち上がりにくいでしょう。
外へ出れば「比べる」が生まれる
介出には、その閉じた世界をひらく力があります。外へ出ると、違う人に出会います。違う反応に出会います。異なる条件のもとで、同じように見えて実は違うことが起こるのを見ます。そこで、はじめて比較が生まれます。この比較は、とても大切です。たとえば、自分の学校では当たり前だと思っていたことが、別の学校では当たり前ではないと知る。地域の人に話してみたら、教室では出てこなかった視点が返ってくる。自分では、大したことがないと思っていた着眼点が、他の人からは高く評価される。あるいはその反対に、教室の中ではよいと思われていた考えが、外ではうまく通じない。こうした違いに出会うことで、子どもは初めて考え始めます。何が同じなのか。何が違うのか。この違いはなぜ生まれるのか。そこから、出来事の表面だけではなく、その背後にある構造に目が向くようになるのではないでしょうか。
具体的な物事を複数目にして、比較が生まれ、違いを感じる。けれども一方で、そのどれにも共通した構造が見え始める。この流れの中で、抽象化された概念が立ち上がってくるのだと思います。
概念とは「この場だけの話ではない何か」のこと
「概念」という言葉は、やや難しく聞こえるかもしれません。けれども、私はここでそれを、もっと素朴に考えてみたいと思います。概念を理解するとは、「この場だけの話ではない何か」をつかむことではないでしょうか。ある教室で起きた出来事。ある地域で経験したこと。ある人との出会い。そうした個別の経験の中から、「これは別の場でも起こりうることではないか」「この出来事の奥には、こういう仕組みがあるのではないか」と見えてくるもの。それが概念なのだと思います。たとえば、「人は、自分に関係があると思えた時に本気になる」とか、「違う立場の人に出会うと、自分の前提が見えてくる」とか、「安心があるからこそ、人は外に出られる」とか。そうした見方は、ある一回の経験だけを指しているのではありません。別の場にも持っていける見方です。つまり概念をつかむとは、経験を一般化し、持ち運べる見方にしていくことだと言えるでしょう。そしてそれは、閉じた世界の中より、外へ出て比較や揺らぎを経験する中でこそ見つけやすいのだと思います。
そう考えると、概念は、教わるものというよりも、自分で見つけ、つかみ取っていくものなのかもしれません。教えるのだとすれば、概念との触れ合いの際に、実感を伴うように図ること、納得するまで触れ合ってもらうことが大切でしょう。
応用は、概念を別の場へ持っていくこと
ここで「応用」ということについても考えてみたいと思います。応用というと、習ったことを別の問題に当てはめることのように聞こえます。もちろん、それも一つの応用でしょう。けれども、本当に大事なのは、もっと深いところにあるように思います。応用とは、個別の経験の中からつかんだ概念を、別の場面へ持っていき、そこで生かしてみることなのではないでしょうか。ある場で学んだことを、別の場でも役立てる。一つの経験から得た見方を、別の状況でも使ってみる。その時に必要なのは、出来事をそのまま覚えていることではなく、その出来事の中にあった構造や見方をつかんでいることです。だから、概念がなければ、応用は難しい。逆に言えば、概念を持てるようになると、人は経験を持ち運べるようになります。
私はここに、介出の大きな教育的意味があると思っています。介出は、子どもにたくさんの経験をさせることだけが目的なのではありません。経験の中にある構造を見つけ、別の場にも生かせる見方を手に入れること。そこまで行って初めて、介出は学びとして大きな力を持つのだと思います。
介出は、子どもを「考えを持ち運べる人」に変える
外へ出る。誰かと出会う。何かをしてみる。それによって、子どもは確かに経験を得ます。けれども、介出の本当の力は、子どもを単に「経験した人」にすることだけではないはずです。そうではなく、経験したことを、考えとして持ち運べる人に変えていくこと。ここに、介出の大きな価値があるのだと思います。外へ出たことで得た気づきが別の場でも生きる。ある地域での経験が、別の地域で考える手がかりにもなる。ある人との出会いが、次の出会い方を変える。ある問いを外へ出してみた経験が別の問いを育てる時にも効いてくる。こうしたことが起こるのは、そこで経験が概念へ開かれているからでしょう。
つまり、介出とは、経験を増やすこと以上に、経験を概念へひらくことなのです。そしてその時、子どもは、場ごとに振り回されるだけの存在ではなく、自分の見方を持ち運びながら世界に関わる存在へと変わっていくのだと思います。
介出の先で、学びは概念になる
ここまで「介出」について考えてきて、私はようやく、この言葉の先にあるものが少し見えてきたように思います。介出は、ただ外へ出ることではない。ただ発表することでもない。ただ経験を増やすことでもない。介出とは、外へ出ることで、経験を比較し、問いを揺さぶり、構造に気づき、別の場にも持っていける見方を手にしていくこと。つまり、学びを概念へとひらいていくことなのだと思います。閉じた世界の中では、経験はその場限りで終わりやすい。けれども外へ出ると、違いに出会う。比較が生まれる。その比較の中で、「この場だけの話ではない何か」が見えてくる。そこに概念が立ち上がる。そして、その概念が、応用できる学びへとつながっていく。だから私は、概念は、閉じた世界では見つけにくいのだと思うのです。介出の先で、学びは概念になる。そしてその概念が、次の場へ、次の問いへ、次の世界へと持ち運ばれていく。
「介出」という言葉について考えてきたこのシリーズは、ひとまずここで一区切りにしたいと思います。その先にはまた、別の問いが見え始めています。それは、人がもっと幼い頃、まだ「介」そのものを意識していなかった時代のことです。その頃、子どもはどのように遊び、どのように世界と関わっていたのか。このことを次に考えてみます。
10歳からわかる「まとめ」
・外へ出ることの大切さは、ただ経験が増えることだけではない
・外へ出ると、いろいろな人や出来事と出会う。ちがいや、共通して大切なことが見えてくる
・そうやって見つけた考え方は、別の場面でも使えるようになる
・外へ出ることは、学びをもっと広く使えるものにしてくれるのだ
*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。
※本稿では、シリーズのまとめとして、介出することにより見えてくることについて考察しました。
余談: アイデアとコンセプト、具材とレシピ
概念にあたる英語はコンセプトだと思います。社会人になりたての頃、そのコンセプトとアイデアの違いをよくわからないまま使っていたことを、今頃、思い出しています。コンセプトは「この場だけの話ではない何か」だとしても、アイデアは、この場だけの通用も充分にありです。しかし、全体のコンセプトに合わないアイデアは却下されても仕方ありません。具材としてのそのアイデアが料理を活かすなら、たとえそれが異例であっても、レシピに加えて構いません。コンセプトは全体、アイデアは一部。それが逆転してはいけません。

ジャートム株式会社 代表取締役
学校・企業・自治体、あらゆる人と組織の探究実践をサポート。
Inquiring Mind Saves the Planet. 探究心が地球を救う。
