
※「介出」第5回目の本稿では介出に与える環境の影響を取り上げ、どんな環境はよく、どんな環境はよくないかについて考えます。
介出は性格だけで説明できるか
ここまで、「介出」という言葉を手がかりに、子どもが自ら外へ向かうことについて考えてきました。介出とは何か。子どもはなぜ外へ出にくいのか。なぜ越境は子どもを変えるのか。そして、出してみることで思考そのものが動き出すのではないか。そうしたことを順に考えてきました。
ここで改めて思うのは、子どもが外へ出るかどうかは、その子自身の性格や勇気だけで決まるのだろうかという点です。もちろん、本人の気質、また経験量の差は影響するでしょう。けれども実際には、出てみよう、出してみようと思えるかどうかは、場の空気や、そこにいる人同士の関係性、周囲の反応のあり方によってもかなり違ってくるように思います。同じ子でも、この場では話せるけれど、別の場では黙ってしまう。ある人の前では出せるけれど、別の人の前では出せない。そういうことは決して珍しくないでしょう。
だとすれば、「介出」を考える時に見るべきなのは、子どもの内面だけではありません。その子が置かれている環境が、外へ出ることを支えているのか、それとも、閉じる方向に働いているのか。そのことも一緒に見なければなりません。
今回は、介出を支える環境と、反対に、その邪魔をする環境について考えてみます。
本人の性格の問題だけではない
子どもが前に出ない時、私たちはつい、それをその子自身の性格の問題として見てしまいがちです。内気だから。慎重だから。自信がないから。もちろん、そうした説明があてはまることはあります。けれども、それだけでは足りないのではないでしょうか。なぜなら、同じ子でも、場面が変わると、驚くほど違う姿を見せることがあるからです。ある教室では一言も話さない子が、別の場では意外なくらい自然に話すことがあります。いつもは手を挙げない子が、ある相手の前では、自分から質問することもあります。つまり、「出るか、出ないか」は、その子の性格により固定的に決まっているとはいえないのです。その場がどんな空気を持っているか。どんな反応が返ってくる場所なのか。未完成なものを出してもよい場なのか。そうしたことが大きく関わっているように思うのです。
介出は、子どもの勇気だけで起こるものではない。その子が置かれている場との関係の中で起こる。まずは、そのことを押さえておきたいと思います。
整い過ぎた環境は介出を閉じやすい
介出を閉じる環境というと、何か特別に厳しい場や、威圧的な空間を想像するかもしれません。けれども、実際にはそうとは限りません。おそらく、介出を閉じる環境は、たいてい「ちゃんとしている」「きちんと整えられた」顔をしているのです。急いで答えを求められる。無駄なく進行する。思ったことをすぐに出しづらい。話はきれいにまとまっていることが望ましい。間違えると気まずい雰囲気になる。緊張感が漂っている。そうした環境は、一見すると効率的で、整い、落ち着いて見えるかもしれません。けれども、そういう場では未完成なものを出しにくくなります。問いの途中にあるもの。まだ言葉になっていないもの。自信のない考え。途中で変わるかもしれない思い。そうしたものは歓迎されないと感じられやすいのです。すると子どもは、出さないほうが安全だと学びます。ちゃんとしてから出そう。間違いないと、はっきりしてからにしよう。まとまってからでないとダメだ。そう思うようになります。
その結果、介出は起きにくくなります。出すことそのものが危険だと感じられる場では、子どもは内側に留まるしかなくなるでしょう。
支える環境では「出しても大丈夫」が伝わる
反対に、介出を支える環境とはどのようなものでしょうか。子どもに「出しても大丈夫」と感じさせる環境ではないでしょうか。もちろん、何でも自由にしてよいという意味ではありません。未完成なものを出しても、ただちに否定や嘲笑の対象にはならない安心が、そこには伝わってきているということです。うまく言えなくてもよい。途中で言い直してもよい。考えが揺れていてもよい。「まだまとまっていません」と言ってもよい。そうしたことが許される場では、子どもは少しずつ自分の内側にあるものを外へ出してみようと思えるようになるでしょう。それから、出したあとに何が起こるかも大切です。たとえば、未熟な発言に対して、すぐに正誤判定の反応が返ってくるのではなく、「それは面白いね」と受け止められる。あるいは、「もう少し聞かせて」と続きを促される。そうした反応が返ってくる場では、子どもは「出してみた先にも、道がある」と感じることができます。
介出を支える環境は、背中を押すだけではありません。出した先にある関係まで含めて、「大丈夫が設計されている」のだと思います。
よい環境は出した後も支えている
ここで見落としてはいけないのは、環境は、子どもが出る前だけでなく、出た後にも働いているということです。子どもが勇気を出して何かを言ったとします。それがどう扱われるかによって、その次の一歩はかなり変わります。笑われる。すぐに訂正される。「つまりこういうことね」と大人に総括され回収される。そういう経験が重なると、子どもは、次からは出さないほうがよいと学ぶかもしれません。
一方で、最後まで聞いてもらえる。少しズレていても、そのズレのまま受け止めてもらえる。そこから別の問いが生まれる。そうした経験をすると、子どもはまた出してみようと思えるようになります。
つまり、介出を支える環境とは、子どもが「出せる」場であるだけでなく、出したあとにも思考が続いていく場、出したことによって新たな思考が始まる場なのだと思います。これはとても重要なことです。なぜなら、介出とは、単に外へ出す瞬間だけの出来事ではないからです。それは、出したあとにどう扱われるかまでを含めて一つの経験なのです。
大人は環境の設計者であるべき
こう考えてくると、大人の役割も少し違って見えてきます。私たちはつい、大人の役割を「励ますこと」や「背中を押すこと」に置きがちです。もちろん、それも大切でしょう。けれども、それだけでは足りないのだと思います。大人は、どんな順番で話させるかを決めています。誰と誰を組み合わせるかを決めています。どんな問いを歓迎するかを、無言のうちに示しています。何を評価し、何に反応するかによって、その場の文化をつくりあげてしまっています。そう考えると、大人は応援者であるだけでなく、環境の設計者でもあるのです。
そして、その設計の仕方によって、子どもは外へ出やすくもなれば、内側に留まりやすくもなります。大人に必要なのは、「もっと出なさい」と言うこと以上に、出てみたくなる場をどうつくるかを考えることなのだと思います。一人でいきなり大きく出なくてはならないようにするのではなく、小さく出られるような扉をつくる。出したあとに、次の一歩が見えるような通路を示す。そのような役割を果たすことが、子どもにとって、かなり大きく働くのではないでしょうか。
介出は「場」との関係の中で起こる
介出は、個人の勇気だけで起こるものではなさそうです。もちろん、最後に一歩を踏み出すのは、その子自身です。けれども、その一歩を踏み出せるかどうかは、その子がどんな場に置かれているのか。そこにどんな空気が流れているのか。未完成なものが歓迎されるのか、完成品だけが評価されるのか。出したあとに思考が続いていくのか、それともそこで閉じてしまうのか。そうしたことが、すべて関わっているように思います。ならば、子どもを変えようとする前に、まず場を見直す必要があるのでしょう。その環境は介出を支えているのか。それとも、子どもを内側に留めてしまっているのか。そのことを、私たちはもっと問わねばなりません。介出は個人の資質の問題ではない。それは、子どもと場との関係の中で起こるものなのだと思います。
こう考えてくると、以前に書いた「環境は沈黙の介入者である」ということとも、自然につながってきます。
10歳からわかる「まとめ」
・子どもが外へ出るかどうかは、その子の性格だけで決まるわけではない
・その場の空気や、まわりの人の反応によって、「出しても大丈夫」と思えることもあれば、「やめておこう」と思ってしまうこともある
・大切なのは、「もっと勇気を出して」と言うだけでなく、出してみたくなる場や、出したあとも安心して考え続けられる場をつくることなのだ
*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。
※本稿では、介出に与える環境の影響を取り上げ、どんな環境はよく、どんな環境はよくないかについて考察しました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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