宿題は「解く」から「創る」へ

※この記事では、「算数編」のスタートにあたって、なぜ算数編なのか、その狙いや背景について述べます。

教室に「算額」が蘇る日

みなさん、こんにちは。光成章です。
これまで「伴走編」として、子どもの探究にどう寄り添うか、その哲学を綴ってきました。今日から始まる新シリーズのテーマは、なんと「算数」です。
「えっ、光成さん、算数の先生だったっけ?」 そんな声が聞こえてきそうです。
正直に申し上げます。私は算数の先生でも専門家でもありません。素人です。しかし、総合学習や探究学習・活動のアドバイザーとして、「学びと社会をどのようにつなげるか」を、今も追求する中で、確信したことがあるのです。
社会という名の荒野を切り開き、歩みを進めるとき、言葉(国語力)が「地図」だとするならば、算数的思考は「コンパス」になります。情報を整理し、論理を組み立て、(状況に合った)最適解を見出す力。算数は、自分たちの生活をより良くより楽しく作り変えるために不可欠な、OS(基盤)だと呼べるのではないでしょうか。(基盤が算盤に読めましたか?)

宿題を「解く苦行」から「創る娯楽」へ

多くの教室で、算数の宿題といえば「計算ドリルなどの問題を解いてくること」でしょうか。授業の復習として、似た問題を自力で説いてみて定着をはかる。これは大切です。しかし、そこで、もし、宿題が「今日(までに)学習したことを取り入れて、面白い問題を作ってくること」に変わったら、子ども達の顔はどうなるでしょうか。ついでに、「理科や社会でやったことも問題に入れられたら、『関係、大で賞』や『関係、大々で賞』とかがもらえるよ」と、やってみてはどうでしょう。
私が提案したいのは、授業の冒頭10分で行う「推し問題投票」の時間です。実は、かつての日本にはそんな素敵な文化がありました。江戸時代の「和算」です。当時の人々は、難しい問題が解けたり、面白い問題を作れたりした喜びを「算額」という絵馬にして、神社仏閣に奉納しました。これは単なる自慢ではなく、「こんな面白い問いがあるぞ、誰か解いてみてくれ」という知的なバトンパスであり、地域の人々が算数を「遊び」として分かち合う、まさに「探究の共有」だったのです。
この「奉納の精神」を、現代の教室に蘇らせたいと思います。ただし、ここで一つ、「私流」の条件を付け加えさせてください。
それは、「数字のエビデンス(根拠)を現実の世界に求める」という条件です。

「1個100円のりんご」はどこに売っている?

例えば、買い物に関する問題を作るなら、「君がいつも行くスーパーでの、実際の値段」を調べてくることを、問題作成の必須条件にします。
すると、子ども達はすぐに気づくはずです。「先生、りんごはバラ売りじゃなくて、3個パックでしか売っていませんでした!」「みかんは1ネットに15個も入っています!」「あ、レジで商品をスキャンすると『消費税』という謎の数字が増えた!(バーコードを読み取らせた時、「○○円です」と教えてくれた音声には消費税は入っていなかったのに、、、)」
教科書の中の「きれいな算数」では出会わなかった、現実の「ままならなさ」との遭遇。ここからが本当の探究です。「バラ売りの値段を出すには、パックの値段を個数で割ればいいのか」「掛け算のやり方はまだ習っていないから、今回は、『しょうひぜいなし、とくばいび』という設定にしよう」等々。(もし、ここで「でも、『0%に設定変更するのは大変だから、1%はどうだ?』とかというニュースをこないだやってたよ」などという声が出てきたら大したものでしょう。それは、さておき、、、)
こうして、現実の壁を乗り越えるために知恵を絞ること自体が、算数を「自分たちの武器」にするプロセスになると思うのです。

1円単位のズレから始まる「思考のハック」

この「スーパーでの実際の買い物」探究では、こんなことも起こるでしょう。今度のイベントのお土産用に、大きな袋入りのお菓子をいくつかと、小分け用の袋を買ってくるとします。レシートを見ないで、払った合計金額とお釣りを比べてみたら、なぜか「計算が合わない」という壁です。お菓子と、小分け用の袋を買ってきた。定価の合計に10%を掛けて総額を出したのに、それと手元のお釣りを足しても、最初に手にしていたお札の額にならない……10%の計算は難しくない。0を取るだけ。足し算をし直したけれど合っている。あれ?セルフ式のレジがお釣りを間違えたか?それともボクがお釣りを全部取り忘れたかなぁ?そこでレシートを確認します。「えっ、袋(雑貨)の消費税は10%で、お菓子(食品)は8%なんだ!」。こうして「数円のズレ」を追いかけることは、社会のルール(軽減税率)の発見にもつながっていくでしょう。

ただ、ここで「8%の計算って面倒くさい」と算数嫌いになって欲しくはない。そこで、こんな「算数ハック」を用意します。「10%分を出して、そこから2%分を引いてごらん。10倍して、2倍分を引く。ほら、どう?」この「ざっくり捉えて微調整する」感覚。これが、実は社会でも役立つ「数的センス」なのだと、私は経験上、伝えたいのです。

「ボクなら2倍して2倍して2倍して、8倍を出すよ!」 なるほど。いいねぇ。

多様な価値を認める「賞」の設定

授業での投票(奉納)の際は、正解か否かではなく、問いの立て方の面白さを称え合います。前述の「関係、大で賞」の他にも、

  • 「きれいで賞」: 数字の並びや法則が美しい!
  • 「どんどん使いま賞」: これは明日から生活で使える!
  • 「だまされたで賞」: そのひっかけ、悔しいけどお見事!
  • 「AIには思いつかないで賞」: 君にしかできない、体温のある問いだ!
  • 「続きをみんなで考えま賞」: これ、条件を変えたら、もっと面白くなりそう!

算数は、正解に辿り着くための頭脳労働ではありません。 自分達の世界を、数字というレンズを通して面白がるための「遊びであり、楽しみの一つ」だと、私は伝えたいのです。

10歳からわかる「まとめ」

(先生方、ぜひ子ども達に、こう語りかけてみてください)

「みんな、算数の教科書って、ときどき『現実にはありえないくらい、きれいすぎる世界』の話をすることがあるよね。でも、本当の算数は、君たちが歩くスーパーの売り場や、お小遣い帳の中に隠れています。
今日からは、問題を『解く人』から、問題を『創る人』になってみましょう。江戸時代の人達が、面白い問題を絵馬に書いて神社に『奉納』したように、君たちも現実の数字を使って、みんなを『おっ!』と言わせるような問題を作って、教室で披露してください。
算数の勉強は、テストでよい点数を取るためだけに、するものではありません。みんながこの世界を、もっと楽しく、もっと便利に生きていくための、一生モノの『コンパス』だと、先生は考えています。」

*本原稿は、ジェミ兄さんとの対話を基に構成されました。

※この記事では、「算数編」のスタートにあたって、なぜ算数編なのか、その狙いや背景について述べました。