
※躊躇なく外と触れ合っていた子どもは、やがて自分と外を隔てる「介」を意識しはじめます。その後、その境界を緩めて社会との交流も生まれ出しますが、同時に不都合も生じそうです。本稿では「介の影響」による遊びや学びの様子の変化について考察します。
遊びや学びに「介」が果たす役割
ここまで、「遊び」というものを、幼い子どもが世界と関わるための大切な方法や手段として考えてきました。まだうまく話せなくても、子どもは遊びを通して世界とつながっているのではないか。同じことを何度も試し続けるのは、飽きないからではなく、まだ確かめている途中だからなのではないか。そして、ごっこ遊びの中で子どもは、別の見方や別の立場や、別の世界がありうることを試しているのではないか。さらに、遊びは、まだ勉強ができないからする、あるいは勉強の合間にするといったものではなく、学びそのものの土台なのだろう。そんなことを少しずつ考えてきました。
さて、幼い子どもは、ためらわずに触り、ためらわずに真似、ためらわずに見立てます。そうした開かれた関わり方ができるのは、まだ「介」を感じていないからこそではないでしょうか。そして、人は、いつから少しずつ「介」を感じ始めるのでしょうか。「介」は自分と世界、自分と他者、自分と場、それらのものとの間にある境目です。子どもは、その「介」に対して、どんな働きかけをするのでしょうか。また、その働きかけによって、遊びや探究はどのように変化していくのでしょうか。今回は、それらのことについて考えてみたいと思います。
先人達の実験研究や発見、理論
まずは、著名な研究者による実験を通した発見や理論等について見てみましょう。
発達心理学の父とされるスイスの心理学者ジャン・ピアジェによると、生後8ヶ月~12ヶ月頃の乳児は、目の前から物が消えても「それは存在し続けている」と理解し始めます。これが、自分とは無関係に外の世界が存在すると認識する第一歩であり、自分と世界の境界線が引かれ始める時期だとしました。これを「客体永続性」の概念というそうです。
同じく発達心理学者のマイケル・ルイスらは「鼻に紅を塗る実験」を通して、鏡に映った自分の鼻の紅に気づいて触れるようになるのが、だいたい1歳半から2歳頃だということを発見しました。この時期に「鏡の中の像=自分」という客観的な自己意識が確立され、明確に「自分」と「他者・外の世界」を区別するようになるといいます。
また、精神分析家のマーガレット・マーラーは、「分離・個体化理論」において、生後5ヶ月頃から母親(外の世界)と自分を物理的・心理的に切り離していく「孵化のプロセス」を提唱しています。
行動における具体的な変化
「9ヶ月の奇跡」と呼ばれるのは、生後9ヶ月〜11ヶ月頃に見られる三項関係の始まりのことを指します。この時期、赤ちゃんは「自分と相手」だけの世界から、「自分・相手・物(対象物)」の3つを同時に意識できるようになります。保護者らが指差した方向を一緒に見たり、逆に自分が興味のあるものを指差して「見て!」と伝えたり、という「共同注意(指差し)」が見られるようになります。「自分が欲しいもの」を「自分とは別の意思を持つ人(親など)」に取ってもらうという行動は、自分と外の世界が分かれていることを理解し始めた証拠で、境界の意識の芽生えとされます。
「1歳半の壁」と呼ばれるのは、客観的な自己が誕生するとされる18ヶ月〜24ヶ月頃のことです。前述のマイケル・ルイス提唱の「鏡の中の自分」を認識する時期です。鼻に紅をつけて鏡を見せると、1歳半を過ぎた頃から「鏡の向こうの誰か」ではなく「自分の鼻」を触るようになり、これを鏡像認知と呼びます。自分のことを自分の名前や「ボク・ワタシ」などの一人称で呼ぶようになり、自分を「外から見たひとつの存在」として客観的に捉え始めます。「これ、○○ちゃんの!」と、自分の名前を言って相手に伝えるという所有意識や所有欲が出始め、これは、「自分の範囲」と「外(他人のもの)」との明確な区別の現れと捉えられます。
「第一反抗期」とも呼ばれるイヤイヤ期は2歳頃から始まります。これが、心理的な境界線の主張の始まりと捉えられます。親の指示(外からの力)に対して「イヤ!」と拒否し自己主張をするのは、自分の内側にある意思を、外の世界から守ろうとする立派な証といえるでしょう。
「介を経る」ことは社会性の芽でもある
前述の通り、自分と外の区別ができるようになると、「所有の境界線」も同時に非常に強くなります。この時期の子どもにとって、お気に入りのおもちゃは「自分の身体の一部(延長)」のような感覚といわれます。友達から「貸して」と言われて拒否するのは、意地悪をしているのではなく、自分の境界線(ナワバリ)を侵略されるような恐怖や不安を感じているからだとされます。境界線の意識が強いうちは、同じ場所で同じおもちゃを使っていても、それぞれが自分の世界で遊んでいる状態です。これを並行遊びと呼びます。その後、境界線を少しずつ開放し、「一緒にこれ作ろう」と共通の目的で関わり始めます。3歳頃からこのような連合遊びが始まり、自分と相手の「やりたいこと」を調整する力が育ってくるといわれます。
人は成長するにつれて、このように、少しずつ「介の存在」を感じ始めます。びっくりすることや、時には痛い思いなどもして、ここでは手を出さないほうがよい、ここでは静かにするべき、と思ったこともあるかもしれません。誰かと触れ合うことによって、これは自分のもの、あれは他人のものといった区別を学びます。また、こうすると相手が笑ってくれる。別のことをすると、反対に、相手が不機嫌になったり相手から叱られたりする。そうしたことも、経験の中で少しずつ学んでいきます。ごっこ遊びは、ここで重要な役割を果たします。お医者さんごっこで診察の順番を待つ。「半分こ」や「順番こ」といったことも、社会の中で生きるために必要な感覚で、そこには社会性の芽・学びがあります。「介」は、人が他者と共に生きるために必要な境界感覚です。それと同時に、「介」は、自分だけの世界から、誰かと一緒に生きる世界に足を踏み入れていく、その入口と呼べるものともいえるでしょう。
社会性が強くなりすぎた場合の影響
他者を意識する。場を意識する。ルールを意識する。それ自体は大切です。けれども、その社会性の意識が過剰になると、子どもにとって、急に動きにくくなることもあるかもしれません。失敗したら恥ずかしい。間違ったら笑われる。ここではこれをしてはいけない。そんな感覚が強くなりすぎると、子どもが「まずは試してみよう」とすることが難しくなりそうだからです。それは遊びにも表れ、自由に見立てることが減るかもしれません。思いきって役になりきれない。相手の反応を気にしすぎる。間違わない遊び方を選ぶ。やがて、遊びの中にあったあの開かれた試行錯誤や柔らかい見方が少しずつ縮こまり始めます。問いを出す前にためらう。変なことを言わないようにする。安全な答えだけを選ぶ。そうなると、世界との「自分の心を存分に開いた対話」は起こりにくくなります。
それは、自分の興味あるテーマについて「広く探り、深く究める」探究においても、同様かもしれません。他者との交わりで「探す」ことはやりやすくなる面もあるかもしれませんが、「究める」ことにおいては、集中を遮られるようなことも起こりえるでしょう。幼い頃の遊びの中にあった、自分に素直に、かつ世界に対して開かれた関わり方を、成長してからも保てるかどうかは、後の探究態度にも関わってくるように感じます。
「介」の上げ下げや着脱を促す
主体的・対話的で深い学びという時、対話は、話すことと聴くことを指すでしょうか。話すは「放す」に通じ、「聴す」と書いて「ゆるす」と読むように、対話は、自分と相手との関係において開かれたもの、解放された状態が理想であるとイメージします。ただし、対話の相手は他人とは限らないでしょう。時に自分自身が相手の場合もあります。そんな時は、「介」を強固にする方が、落ち着き、集中できるかもしれません。子どもに、どこか疲れたような様子が見えたなら、大人はその子に、「介」という鎧や仕切りは、自由に着脱したり、上げ下げしたりできるものだということを、しっかり伝えるべきだと思います。
子どもが、「全集中モード」と「オープンモード」など、スイッチひとつで「介」の切り替えを自由にできるようになれば、きっと、もっと生きやすくなるに違いありません。
「今のあなたの『介』は、どのくらい開いていますか?」
10歳からわかる「まとめ」
・「自分」と「外の世界」のあいだには、「介(かい)」という境界線(心のしきり)がある
・成長するにつれて「介」を強く感じるようになるけれど、それは社会の中で生きていくための大切な一歩
・「介」は心のよろい。疲れたときは閉じて自分を守り、ワクワクするときは開いて世界とつながろう
*本原稿は、チャッピー君・ジェミさんとの対話を基に構成されました。
※本稿では、「介の影響」による遊びや学びの様子の変化について考察しました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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