探究で大切な「主語は私」

私を主語にする

SSIR-J(スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版)のコミュニティが大切にしていたのは、「私」を主語にするということです。「主体的・対話的で、深い学び」の中心となる探究学習・活動に求められる姿勢として、この言葉は実によく当てはまります。もし、探究の時間に行っていることが、自分はどう考えるか、どう行動したいかに焦点が当たっていないとしたら、根本を見つめ直す必要があるでしょう。

確かに、先生や学校に決めてもらうのではなく、自分で探究の対象や課題・テーマを決めることは「主体的」な行為と呼べます。しかし、テーマ設定を自分の興味で決めただけでは充分に主体的とはいえません。

調べ学習時点での姿勢

例えば英語に興味を抱いている生徒が、自身の英会話力を更に上達させたいと考え、その方法を探究し始めるのは素晴らしいスタートです。ところが、次の調べ学習の段階で、やや方向がズレ始めるのをよく目にします。せっかく課題を感じたスタート地点が自分自身であるのに、注目の対象が自分を離れてしまうのです。日本人は平均的に英会話力が高くないというのを普段よく耳にするからなのか、探究の調べ学習として、日本の英語教育について他国のそれとの比較をし始めるような動きが目につきます。まるで、日本の教室内には、調べ学習で収集すべきは客観的データやエビデンスであって、そこに主観や個別ケースからの学びは入らない方が良いという強い思い込みでもあるのかと疑うほどです。

もしこれが、自身の10Km走の記録を少しでも短縮したいという探究であった場合に、果たして、日本の体育の授業がおかしいのではないか、ということに目が向くでしょうか。あなたが陸上部員であったなら、部活でのあなたのトレーニングメニューを顧問の先生と相談して最適化するよう変更することはあるでしょうが、そこで部員全員のトレーニング内容をあなたのメニューと全て同じにしようとは考えないでしょう。チーム力が問われる400mリレーであっても、バトンパスの練習のような同じメニューのトレーニングだけを全員に課して終わりにすることはないはずです。第一走者にはスタートダッシュを、第三走者はカーブでスピードを落とさない走りを、第二・第四走者は直線走力を、というようにそれぞれのコース条件や特長に合わせたメニューも組むはずです。ましてや、個人競技の場合は、まずは自分に目が向くはずです。また、持久走の場合なら、走力をつけようとするだけでなく、エネルギー補給や消化の面にも目が向くでしょう。練習中とレース本番時に分け、摂るべき食事のメニューと摂る時間帯を少しずつ変えながら、自身の体感や練習走行タイムを比較してベストを探し出すようなことを探究で実践すれば、自身に役立つ興味深い結果や学びが得られます。周りの声がけ一つで、調べる対象、内容、調べ方、ひいてはその後の探究の進め方が大きく変わります。一段高い視点からの「学術的・政策的な研究」を否定するわけではありませんが、「日本の英語教育は」で始めるのではなく、「私は」や「私の英会話力は」から進める探究も、決して悪くないと感じます。

調べ学習においては、まわりから地を固めるような調べ方だけでなく、核心から攻める方法もあることを助言してあげて欲しいと感じます。

N = 1の自分徹底探究

市場調査も、だいぶ以前であれば、数を集める定量調査をまず行なって現状を把握しようということを、あまり疑いもなく行なっていました。大量生産・大量消費の時代には、そのように「最大公約数」となる共通課題の解決を優先したからです。最近では、そのような「基本性能」にあたる部分はどの商品もほぼ満たしています。それだけで充分と考える消費者は、それらの商品群の中からよりコストパフォーマンスの高いものを選びます。一方、より個別の要求を満たすような製品を望む消費者には、オーダーメイド感覚で製作するようなアプローチが取られてきています。サンプル(N)を100集め、多数派や平均を意識しての商品づくりから、1のNに注目して、その一人を徹底的に満足させることを目標に製品を作ろうとするやり方への転換です。対象となる一人からはインタビューを通して意見を得るだけでなく、その人の普段の生活をじっくり観察しながら、「言葉にはしていないけれど、ここは困っていそうだから、少し手を加えるのがいいだろう」という、いわば潜在意識の部分まで汲み取って製品作りをする場合もあります。実は、その結果、それが声にならない大勢の声を拾うことに繋がり、ある一人のために作った製品が、「こういうのが欲しかった」という他の消費者の好評をも得て大ヒットすることがあります。簡単なネット検索によると、ある一人の声が製品化につながった例として、日清食品の「合体シリーズ」が、一番目にあがってきていました。

探究で取り組む順番

この流れで考えれば、「英会話力を付けたい」と思った生徒の探究は、

  1. 自分を実験台として様々な「英会話上達法」を考案し、試して、ベストを見つける
  2. その方法を友達に試してもらい、効果を確認する
  3. 必要な改良を加え、より多くの人に有効な「英会話上達法」を定める
  4. その経緯や試行錯誤の様子をまとめ、発表する

というような流れになるでしょう。

この場合、主語だけでなく目的語も「私」になっています。単なる私見でしかありませんが、私には、こちらの方が、より「探究らしい」という気がしてなりません。

10歳からわかる「まとめ」

・探究では「私を主語にする」という考え方は非常に大切で、テーマに対して、自分はどう考えるか、どう行動したいかに焦点を当てるべき

・調べ学習には、自分を「実験」の対象にして行うものも含まれる

・その実験の様子と、実験で効果が確認できた方法を他の人に展開するための試行錯誤の様子、その両方をまとめれば立派な探究になりえる

以下、余談です。

何々と私

中学から高校にかけての「総合」「探究」の連携を考え、関東の某県某市では、市内の各中学校が、1年生、2年生、3年生で取り組む総合学習のテーマの統一を図っているそうです。市内の中学生の大半が市内の高校に進学するため、どの高校に進級しても出身中学によって取り組んでいたことの差が生まれないようにするための工夫だそうです。生徒に将来の自身のキャリアを意識させることも重視しているため、それに繋がる学年テーマが適切に選ばれている印象を受けました。このように、自身の興味を意識せざるを得ないテーマ設定は、とても有効だと感じます。もし、そうでない学年テーマを選んでいる学校の場合は、是非、そのテーマの後に「と私」という言葉を加えて欲しいと思います。例えば、「地域と私」のようにです。

第51回「探究は様々な見方を意識して」を読む