2026年、探究支援の注力分野

※この記事は、探究学習を「自己理解の時間」として捉え直し、2026年に注力したい探究支援の方向性を整理したものです。

探究は結局、何のため?

「探究って、結局、何のためにやるのですか?」

中学生や高校生から、こう聞かれることがあります。
調べて、まとめて、発表する。それ自体はできる。でも、それが自分の人生にどう関係するのか、正直よくわからない。そんな表情で投げかけられる問いです。

私はこの問いに、ここ数年ずっと向き合ってきました。そして2026年は、はっきりと意識して取り組みたい方向があります。それは、探究の時間を「世界を知るための時間」であると同時に、「自分自身を知るための時間」として、より意図的に設計していくことです。

「外向」と「内向」、両方のための時間

探究というと、どうしても「テーマに詳しくなること」に目が向きがちです。地域の課題、環境問題、福祉、テクノロジー。どれも大切で、価値のあるテーマです。

しかし探究の本質は、調べた対象そのものよりも、その対象とどう向き合ったかにあります。なぜ気になったのか。どこで面白いと思ったのか。逆に、どこでつまずき、迷ったのか。そうした内側の動きに目を向けることで、探究は「自分探究」にもなっていきます。

2026年は、探究の成果物だけでなく、そこに至る思考や感情の変化を、より丁寧に扱っていきたいと考えています。

子どもを「比べない」。「違い」を言葉に

自己理解というと、成績や得意・不得意といった「特性」で語られがちです。しかしそれは、気づかないうちに比較や優劣を生みやすい見方でもあります。

私が大切にしたいのは、特性論ではなくタイプ論です。
集中力が続きやすい場面はどこか。人と話すことで考えが深まるのか、一人で考える時間が必要なのか。新しいことにすぐ飛びつくタイプなのか、じっくり確かめてから動くタイプなのか。

これは、優れている・劣っているという話ではありません。力の出方が違うということです。違いを言葉にすることは、比べるためではなく、適切な配置や関わり方を見つけるためにあります。

一人ひとりの「見えている世界(環世界)」を前提に

同じテーマに取り組んでいても、子どもたちが見ている世界は同じではありません。何に目が留まるか、何を問題だと感じるかは、人によって大きく異なります。

ドイツの生物学者・哲学者であるヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、これを「環世界」と呼びました。世界は一つでも、世界の見え方は一人ひとり違う、という考え方です。探究においても、この視点は非常に重要です。

環世界を尊重するというのは、放任することではありません。むしろ、なぜそれが気になるのかを言葉にする対話を重ねることを指します。違う見え方があることを前提にすることで、探究は一層豊かなものになります。

育てたいのは正解にたどり着く力ではない

私たちが生きていくのは、正解があらかじめ用意されていない時代です。変化が激しく、多様な価値観が共存する中で、「正しさ」は一つではありません。

だからこそ探究で育てたいのは、正解を当てる力ではなく、考え、選び、修正し続ける力です。うまくいかないときに立ち止まり、別の道を探す力。他者と話し合い、納得解をつくる力。これらは一朝一夕には身につきません。

探究の時間は、そのための訓練の場でもあります。

「自分との付き合いがうまくなる」を支援

2026年の探究支援では、次の点を特に意識していきます。
自分はどんなときに力が出るのか。どんな場面で助けが必要なのか。やりたいこと(Will)、できること(Can)、求められていること(Should)のズレに気づけているか。

これらを言葉にできるようになることは、学びの場だけでなく、その先の人生にもつながります。探究は、将来の進路を決めるためだけの活動ではありません。自分自身と、うまく付き合っていくための練習のための機会でもあるのです。

2025年までの実践で得た手応えを土台に、2026年はこの方向を、より意識的に、より丁寧に進めていきたいと考えています。

「時間を味方につける探究」にも挑戦

もう一つ二つ、2026年にぜひ挑戦してみたいと考えていることがあります。
それは、中学生が学年を越えて、長い時間軸で一つの探究テーマに向き合う取り組みです。

現在の学校では、どうしても探究が学年ごと、年度ごとに分断されがちです。じっくりと一つのテーマに取り組もうとすると、その時間はあまりにも短い。特に、自分の関心や得意なことがまだはっきりしていない中学生に、最初からエンジン全開で探究に向き合うことを期待するのは、現実的ではありません。

1学期は悩んで終わる。2学期にようやく動き出す。そうこうしているうちに3学期を迎え、まとめに追われる——そんな姿を、私は何度も見てきました。やっとそのテーマの面白さや意味がわかってきたところで時間切れ、というのは、あまりにももったいないと感じます。

だからこそ、地域や社会の将来を考えるような大きなテーマについては、三年間連続で、休み休み取り組んでもいいのではないかと思うのです。探究から少し離れている時間は、決して無駄ではありません。その間に教科の授業で学んだことや、日常の経験がヒントとなり、再び探究に戻ったときに思考が一気に進むこともあります。そうした時間は、いわば「熟成期間」です。

学習指導要領の策定には、専門家が約10年という長い時間をかけます。そして、完成したものは次の10年間で使われ、使い始めたその瞬間から、その次の指導要領づくりが始まる。大人はそれほど長い時間軸で教育を考えているのに、子どもに対しては「学校カレンダーの都合があるから、3学期のはじめには発表しなさい」と求める——ナンセンスな話ではないでしょうか。

探究とは、本来、時間のかかる営みです。だからこそ、時間を味方につける探究の形を、2026年はどこかの学校で、実際に試してみたいと考えています。

学校間連携による「分担と統合」の探究も

私が関わっている福井県坂井市は両親の出身地で、当時は坂井郡の名称でした。父は三国町、母は坂井町で育ちました。丸岡町と春江町と、合計4つの町が一つになったのがまさに20年前で、今年は市政20周年記念の年です。

昨年の今頃、探究について、丸岡中学校の子ども達に話をするにあたり、午後の時間を全て探究にあてて有名になった渋谷区と丸岡町を比較してみました。「丸岡町の面積は渋谷区の7倍、人口は7分の1。人口密度にすると、約50倍の差がある計算。ちょうどプロが使うサッカー場で50人対50人で試合をする距離感が渋谷区で、君らは1対1。町の人への訪問インタビューを計画する時の参考になるかもしれないから、覚えておいて」と付け加えた記憶があります。ちなみに丸岡町は、面積で坂井市の半分、人口でその3分の1を占めます。

さて、こんな坂井市内には全部で5つの中学校があります。町名通りの中学校名を持つ4校と丸岡南中学校です。4町それぞれに特徴があり、各地域探究を充実させることができます。次の段階として、5つの中学校がそれぞれ役割分担した探究を市全体として共有・統合することを共同で行えれば、より面白く有意義になるだろうというのが私の感触です。比較を元にしての補完、更に相乗効果を生む組み合わせに関するアイデア出し等に、5校合同で取り組んでみたいのです。広いですから市内の端から端を生徒が都度行き来するのは現実的ではありません。オンラインでやり取りしやすくなるよう、探究の時間の時間割を市内5校で揃えてもらうことが、取り組み実現への第一歩となりそうです。

探究は続きます。
世界を知りながら、自分を知る。その往復運動を、長い時間をかけて支えていきたいと思います。

10歳からわかる「まとめ」

・探究を「世界を知るための時間」であると同時に、「自分自身を知るための時間」として、より意図的に設計していきたい

・探究は、自分自身とうまく付き合っていくための練習の機会でもある

・2026年は、どこかの中学校で、学年を越えて、長い時間軸で一つの探究テーマに向き合う取り組みにも挑戦したい

*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。

【この記事の要点】

この記事では、探究学習を自己理解のプロセスとして捉え、タイプ論や環世界の視点、学年を越えた長期的な探究設計の可能性について述べました。