ブーム化する探究という言葉
最近ますます「探究」に対する世間の期待が高まっていることを感じます。東京都渋谷区の小中学校が今年度から午後の時間を全て探究学習に充てる計画だというのが2月にニュースで流れた際には、大きな反響がありました。ニュース記事に連動して投稿された読者からのコメントには賛否両論が見られ、また、それらのコメントの中には千を超える「いいね」が付いたものもありました。 私自身は「探究学習」と呼ぶことに対して率直な疑問を持ちました。2002年から小学校で導入されたのは「総合」と略される「総合的な学習の時間」です。2022年から高校の正式カリキュラムとして「総合的な探究の時間」が導入されていますが、小中学校では引き続き「総合」と呼ばれています。高校の学習指導要領の中では、「総合」と「総探」の違いに触れつつ、両者の連携を考慮していると私は感じていました。したがって、なぜ渋谷区が「総合」の時間に充てるとしなかったのかに単純に引っ掛かりを感じたのです。
探究学習の方が通じやすいからか
渋谷区にはいずれ機会があれば確認してみることとして、ここでは、探究学習の方が総合学習より言葉としてより具体的なイメージが伝わりやすいからかという程度の理解で進めます。ちなみに、新聞発表によると、渋谷区教育委員会からは「『探究シブヤ未来科』は各教科で学んだ知識を総合的に生かして、問題解決力や創造力を育む取り組み」「学校内にとどまらず、地域や企業・専門家の協力を得ながら、渋谷の街全体を学びのフィールドとして子ども主体の学びを実現していく」と説明があったそうです。これだけ読むと、まさに総合学習として、これまで行ってきたであろうことの延長線上に、今度の新しい取り組みもあることには違いないと思えます。
新しい資質・能力の開発
総合にしても探究にしても、そのような学習を通して子ども達に身に付けてもらいたいと大人が願っている資質や能力は、共通しているといえるでしょう。文科省も掲げる「実際の社会や生活で生きて働く、知識及び技能」「未知の状況にも対応できる、思考力、判断力、表現力など」「学んだことを人生や社会に活かそうとする、学びに向かう力、人間性など」の3つです。
3つはそれぞれ関連していますが、これらを動かす原動力として、興味・関心がまず必要かつ大切であると私は思います。取り組むテーマ自体に自身が興味・関心を抱けば、知識や技能の獲得にしても、より良い解決策を考え出そうとする試みについても、簡単には諦めずに粘り強く努力し続けるはずだと思えるからです。一つ新しいことがわかると、更に好奇心が強く湧くということもあります。途中で、継続に弾みが付くことも多いだろうと考えます。
「総合」と「総探」の連携
先述の高校の学習指導要領には、「総合」と「総探」の違いについて、それぞれの活動と課題との関係のイメージとして、「総合」は「課題を設定し、解決していくことで、自己の生き方を考えていく」のに対し、「総探」は「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を発見し、解決していく」との説明があります。
「総合」は、小中学生が対象ですから、課題の設定を必ず自身が行うものとは限らないのだと思います。教師から与えられた課題であっても、それを解決したり、過去の解決事例を勉強したりしながら、つまり、まずは世の中の様々な問題を知り、それを人類はどのように解決してきたかについても学ぶ中で、自身が興味・関心を抱くテーマに気づくというのが第一の目標なのだと私は理解しました。単純に考えて、探究するには、ある程度の基礎知識も必要でしょう。対して、「総探」は、自身が興味・関心を抱くテーマの中から課題を自分で発見して解決していくことに重きを置いています。
「総合」で自身の興味・関心について突き詰めておくことができれば、「総探」への連携がスムーズにいきそうです。両者は同じようでいて異なるもの、それぞれに異なる「中心の目的」があるものだと考えられます。
小学校での「総合」の導入
であるならば、小学校で最初に「総合」に取り組む際に教師が子ども達にかける言葉としては、どのようなものが相応しいでしょうか。私は「不思議」「工夫」「よく伝わるように伝える」ということを、児童にわかってもらうことが大切ではないかと考えます。「不思議を見つけて解き明かそう」「工夫を加えて楽しもう、楽をしよう」「一番よく伝わる方法で伝えよう」あたりを提案したいと考えます。かつ、それらをいつも心がけて、忘れないようにしようということを伝えたいと思います。
一人ひとり異なる興味への対応
とはいえ、児童の興味・関心は様々でしょう。それらの一つひとつに対し、クラスにたった一人か二人の教師が全て対応することは実質的に不可能です。そこで、学校と、家庭や地域社会がうまく連携を取りながら、総合力で対応していくことが必要になります。総合力は、単に力が合わされば発揮されるものではありません。お互いの力がプラス方向にうまく噛み合うように協力しあっていなければならないのです。二つの力が反対方向に押し合って、効果を相殺してしまっているようではいけません。
そうならないためには、全体の調和を実現できるような指揮者の存在が大切になるでしょう。各担任の先生には、そのような役割を担ってもらいたいと考えますし、その手助けをする大人がいつも先生の周りには、いるべきだと考えます。
【参照】 第35回「『総合』『探究』は何のため」
10歳からわかる「まとめ」
・今や、探究という言葉が「ブーム化している」という印象を持つ
・「総合」にせよ「探究」にせよ、そのような学習を通して子ども達に身に付けてもらいたいと大人が願っている資質や能力は、共通している
・今後求められる新しい資質や能力を養い、身につけるには、まずは、自分の興味・関心に気づき、その対象に常に好奇心を持ち続けることが必要
・小学校の「総合」への導入で強調したいのは、「不思議」「工夫」「伝わるように伝えること」と、それを続けることの大切さ
・子どもの興味・関心は一人ひとり異なる。クラス担任の先生一人が全てに対応するには無理がある。学校と社会は協力して事にあたる必要がある
ジャートム株式会社 代表取締役
学校・企業・自治体、あらゆる人と組織の探究実践をサポート。
Inquiring Mind Saves the Planet. 探究心が地球を救う。