
※「介出」第2回の本稿では、介出の手前で子どもの中に湧き起こる「外に出にくい気持ち」の原因や理由について考えます。
出ない理由を決めつけないこと
前回、私は「介出」という言葉を置いてみました。それは、子どもが自分の問いや思いを抱えたまま、外の世界へ向かっていくこと。守られた場所から一歩出て、他者や社会や異なる世界と出会っていくこと。そんな行動を考えてみたいという話でした。
けれども、そこで次に気になってくるのは、もっと手前のことです。そもそも、子どもはなぜ、そう簡単に外へ出て行こうとしないのだろうかということです。
もちろん、外へ出ることが得意な子もいるでしょう。人前で話すことをあまり怖がらない子や、知らない人を相手に、物怖じせずに声をかけることができる子もいるかもしれません。しかし、多くの子どもにとって、「外へ出ること」は簡単なことではないように思います。特に、自分の内側にあるものを「外へ出すこと」は簡単ではないのではないでしょうか。
そして、その「出にくさ」「出しにくさ」を、私はあまり軽く見たくはありません。消極的だから。自信がないから。意欲が足りないから。そういうふうに片づけてしまう前に、そこには何があるのかを、もう少し丁寧に見てみたいと思います。もしかしたら、子どもは、自分を守るための鎧を着ているのかもしれません。あるいは、自分と外の世界との間に、見えない仕切り板や壁を立てているのかもしれません。だとすれば、外へ出ないことは、単なる消極性ではなく、「生存本能からくる自然な防御」なのかもしれません。
今回は、子どもはなぜ外へ出にくいのか、そのことを少し考えてみたいと思います。
外へ出ないのは意欲がないからとは限らない
子どもが前に出てこない時、何かを言わない時、外へ向かわない時、私たちはつい、その理由を性格の中に探したくなります。内気だから。消極的だから。自信がないから。もちろん、そうした言葉で説明できる部分もあるでしょう。
けれども実際には、それだけでは足りないようにも思います。出ないのではなく、出にくい。その違いは、とても大きいはずです。
「出ないのだ」と決めつけてしまうと、そこには本人の選択だけがあるように見えます。一方で、「出にくいのだ」と捉えると、その子の内にも外にも、何らかの抵抗や、出るための条件があることが見えてきます。
つまり、子どもが外へ出ない時に本当に見たいのは、その子に「やる気があるかどうか」ではなく、その子を外へ向かいにくくしているものは何か、なのだと思います。
鎧は自分を守るためのものかもしれない
子どもが外へ出にくく感じている時、その子は何かを恐れているのかもしれません。間違うこと。笑われること。否定されること。失敗すること。期待に応えられないこと。そうしたものにさらされることを、避けようとしているのかもしれません。
もしそうだとすれば、その子が身につけているものは、まず鎧として見るべきなのでしょう。ここでいう鎧は、自分を守るために身につけているものという意味で、前回まで考えてきた「介」の字の成り立ちとも、どこか響き合っているように思います。鎧は、動きを重くするかもしれません。自由に外へ出にくくもするでしょう。けれども、本来それは、自分を守るためのものです。
つまり、鎧は最初から悪者なのではありません。その子がこれまで傷つかずにいるために必要だったものです。そう考えると、「殻を破りなさい」「もっと前に出なさい」とは、簡単に言えなくなります。
鎧を着ている子に必要なのは、気合いではなく、まず「鎧を着なくても大丈夫かもしれない」と思える経験なのではないでしょうか。だとすれば、大人が最初にやるべきことは、鎧をいきなり脱がせようとすることではなく、その鎧が、その子にまだ必要なのかを判断し、もう必要ないと思えたら、その子にも、同じようにそう思ってもらえるように何かの働きかけをすることなのではないでしょうか。
仕切りは自分と外のあいだに立つもの
一方で、子どもが外へ出にくい理由は、自分の内側だけにあるとは限りません。自分と外の世界との間に、何か仕切りのようなものが立っている場合もあるように思います。
ここでいう仕切りとは、いわば壁のようなものです。ただし、それは必ずしも目に見えるものではないでしょう。
たとえば、先生にこう見られるのではないか。友達に変だと思われるのではないか。親に心配されるのではないか。教室ではこうふるまうべきではないか。そうした空気や関係や制度、あるいは思い込みの中に、見えない仕切りを立ててしまっていることがあります。
鎧が「自分を守るために身につけているもの」だとすれば、仕切りは「自分と外の間に立ちはだかっているもの」でしょう。その仕切りが高く、厚いほど外の世界は遠く感じられるに違いありません。
だから、子どもが外へ出にくい時、その子の目の前にどんな仕切りが立っているのか。そして、大切なのは、誰が、何が、その仕切りを厚くしているのか、高くしているのか。そこもまた、見ていかなくてはならないということでしょう。
出にくさは本人の内面だけで出来てはいない
こう考えてくると、子どもの「出にくさ」は、本人の気質や性格だけでできているわけではないことが見えてきます。
恥ずかしさや不安は、たしかにその子の内側にあるでしょう。けれども、それがどれくらい強くなるかは、周囲との関係や、その場の空気によっても変わります。
たとえば、間違えることが笑いの対象になるような雰囲気では、外へ出るのは難しくなります。正解をすぐ言える子が評価されやすい教室では、考えながら外へ出ることはしにくくなるでしょう。「ちゃんとしていること」が強く求められる文化の中では、未完成なまま外へ出ること自体が、かなり勇気のいることになります。
つまり、出にくさは個人の問題であると同時に、関係の問題でもあり、制度の問題でもあり、文化の問題でもあるのでしょう。だからこそ、子どもに「もっと勇気を出して」と言うだけでは足りないのです。その子が置かれている関係や空気や期待のあり方も、見直していく必要があるのだと思います。
大人にできるのは扉や通路をつくること
では、子どもが外へ出にくい時、大人は何をすればよいのでしょうか。
ここで大切なのは、無理に押し出そうとしないことだと思います。鎧を着ている子を力ずくで前へ出せば、その子はもっと強く自分を守ろうとするかもしれません。そもそも、重い鎧を着たままの子を押すのは、こちらにとっても大変です。また、仕切りの前に立っている子に、「そんなものは乗り越えてしまいなさい」と言うだけでは、かえってその仕切りの高さや厚さを意識させてしまうこともあるでしょう。
そうではなく、大人にできるのは、出ていける扉や通路をつくることなのかもしれません。外へ出ても大丈夫だと思える足場をつくること。最初は、一人ではなく、誰かと一緒に越えていけるようにもしてみること。いきなり大きな「越境」ではなく、小さな「越え」や「渡り」から始められるようにすること。出てみた先には、怖さだけでなく面白さや手応えがあると感じられるようにすること。つまり大人の役割は、子どもを強引に押し出すことではなく、外へ向かうための出口や足場を整えることなのでしょう。それは、「介入」シリーズで考えてきたことともつながっています。よい介入とは、結局のところ、子どもが自分から外へ出ていけるように支えることだったように思います。
出にくさを責める前に、守っているものを見る
「介出」ということを考え始めてから、私は以前よりも、その子が「なぜ出ないのか」を問う前に、「何がその子を守っているのか」「何がその子を外へ向かいにくくしているのか」を見たい気持ちが強くなってきています。
鎧はその子を守ってきたものかもしれません。仕切りはその子の前に立ちはだかってきた壁かもしれません。その壁には防御の役目もあったかもしれません。いずれにせよ、どちらも、ただ壊せばよいわけではないでしょう。
それがなぜ必要だったのかを理解し、そのうえで、少しずつ外へ向かえる条件を整えていくことが大切なのだと思います。子どもが外へ出にくいのは、弱いからではありません。ただ、そう簡単には外へ出られないだけの理由がありそうです。まずはそこから見ていきたいのです。そして次に考えたいのは、その鎧や仕切りをどう壊すかではなく、どうすれば越境につながる条件をつくれるのか、ということです。鎧が少し軽く感じられたら、仕切りが少し低く薄く見えたら、その子も行動を起こしやすくなるかもしれません。そんなことを、次はもう少し考えてみたいと思います。
10歳からわかる「まとめ」
・子どもが外へ出にくい時、それは「やる気がない」からとは限らない
・まちがうのがこわかったり、笑われるのがいやだったり、自分を守るための鎧を着ていることもある
・また、教室の空気やまわりの人との関係が、見えない仕切りになっていることもある
・だから大人は無理に押し出すのではなく、外へ出ても大丈夫だと思える通路や足場をつくることが大切だ
*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。
※本稿では、「介出」の手前で子どもの中に湧き起こる、外に出にくい気持ちの原因や理由について考察しました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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