「介出」とは何か

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※本稿からは、造語「介出」について考えていきます。「介」の字は鎧から来ているというところから始まった「介入」論議を、今度は、子どもが鎧を脱ぎ、枠を越えていくには何が必要かということに展開させていきます。第1回となる今回は、その導入です。

子どもが自ら外へ出るということ

ここまで私は、「介入」という言葉について考えてきました。大人や周囲が、子どもの成長や探究にどう関わるのか。介入とは何か。「介入しない」ことも一つの介入なのではないか。よい介入は内容よりもタイミングで決まるのではないか。問いを奪う介入と育てる介入があるのではないか。さらに、環境もまた、沈黙の介入者なのではないか。そうしたことを、少しずつ考えてきました。

すると、その先に、もう一つ別の動きがあるように思えてきました。それは、周囲が「あいだに入る」ことだけではなく、子ども自身が、自ら外へ出ていくことです。自分の中にある問いや違和感を他者に向かって差し出すこと。守られた場所から一歩出て、異なる人や世界と出会うこと。自分の考えや試みを社会や現実の中に持ち出してみること。そうした動き全体を、私は「介出」と呼んでみたくなりました。

「介入」が、周囲があいだに入ることだとすれば、「介出」は、子ども自身が、自ら殻や仕切りを越えて外へ向かうことです。

探究において本当に大切なのは、子ども自身が、問いを抱えたまま、自分から外へ出ていけるようになることなのではないかと感じています。

今回はまず、この「介出」という言葉を置いてみます。これが何を意味し、なぜ今これを考えたいのか。そこから始めてみることにします。

「介出」は、ただ外に出ることではない

「外へ出る」という言い方をすると、つい、場所の移動を思い浮かべるでしょう。教室から廊下へ出る。学校の外へ出る。地域へ出る。もちろん、それも一つの「外へ出る」ではあります。けれども、私がここで考えたい「介出」は、それだけではありません。大切なのは、自分の内側にあったものが、外へ向かって動き始めることです。

たとえば、まだうまく言葉になっていない違和感を誰かに向かって話してみること。自分の問いを他者に聞いてもらうこと。頭の中だけにあった考えを発表や提案という形で差し出してみること。あるいは、「自分とは関係のない外の世界」だと思っていたものの中へ自分から入っていこうとすること。

「介出」とは、単なる移動ではなく、内側にあったものが、境界を越えて外へ出ていく動きだといえると思います。それは、自分を守っていた殻や仕切りを越えることでもあり、時には、自分自身を外に晒すことでもあります。教室の空気。学校の役割。自分はこういう人間だという思い込み。失敗したくないという気持ち。人前で何かを言うのが怖いという感覚。そうしたものを抱えながら、それでも少し外へ向かう。その動きに、私は注目してみたいのです。

子どもは、なぜ外へ出にくいのか

ここですぐ、気になってくることがあります。それは、人はなぜ、そう簡単には外へ出ていくことができないのだろうか、ということです。

もちろん、外へ出るのが得意な子もいるでしょう。人前で話すことをあまり苦にしない子もいます。地域の人とも自然に話せる子がいるかもしれません。けれども、多くの子どもにとって、「自分の内側にあるものを外へ出す」ことは、決して簡単ではないように思います。そこには、いろいろな壁があるのでしょう。恥ずかしさ。間違うことへの不安。評価されることへの怖さ。「こんなことを言っていいのかな」というためらい。あるいは、教室の中にある見えない仕切りや、「ちゃんとしていなければならない」という空気もあるかもしれません。

そして時には、子ども自身が自分を守るために身に付けている鎧のようなものもあるのだと思います。それは、外へ出て傷つくことを避けるための防御かもしれません。だとすれば、「もっと外へ出なさい」と言うだけでは何も始まりません。なぜ出にくいのか、その壁や鎧の存在も一緒に見なければならないのでしょう。

この「外への出にくさ」は、学校の中だけの話ではなさそうです。少し前に、日本人の留学希望者が減少していることがニュースに取り上げられました。新型コロナや、それにも影響された経済の停滞、物価高、円安などの関係はあるでしょうが、そのような外的要因だけが理由ではないような気もしています。

「介出」は、越境のことでもある

私が「介出」という言葉に惹かれる理由の一つは、そこに「越境」という意味も含められそうだからです。

自分の問いを、自分の中だけに留めておくのではなく、外へ持ち出してみる。同じ教室の中だけではなく、他の学年の人と話してみる。学校の中だけではなく、地域の人や専門家や、別の立場の人と出会ってみる。そうした時、子どもの問いは、もとのままではいられなくなるはずです。問いは、外へ出ることで変わります。深まることもある。揺さぶられることもある。時には、思っていたのとまったく違う方向へひらいていくこともあるでしょう。私はそこにこそ、探究の面白さがあると思うのです。教室の中だけで考えていた時には自分の中で何となく完結していたことが、外の世界とぶつかることで、急に現実味を帯びてくる。自分の問いが、自分だけのものではなくなる。その経験は、子どもを大きく変えるのではないでしょうか。

そう考えると、「介出」とは、外へ出ることそのものというよりも、越境によって問いが別のものへ変わっていく動き、むしろ、自分の内面を揺さぶることにつながる動きであると思うのです。

出ていける扉をつくること

ここで、介入との関係が見えてきます。これまで考えてきた「介入」は、子どもの問いを守ること、問いを奪わないこと、タイミングを見ること、環境を整えること、そうした話でした。それらはどれも、子どもを安心の中に留めるためだけのものではなかったはずです。最終的には、子どもが自ら外へ向かっていけるようにするための支えだったのではないか。そんなふうに思い始めています。

だとすれば、大人の仕事はまだ終わっていないのかもしれません。とはいえ、次は、子どもを無理やり外へ押し出すことではないでしょう。それはあまりにも急過ぎます。とはいえ、「もっと発表しなさい」「外へ出なさい」と励ますことだけでは足りないのかもしれません。そうではなく、出ていける扉を設ける。必要なら扉の外にも短い通路をつくる。そのように、越境しても大丈夫だと思える足場をつくること。外へ出てみたくなる仕組みや関係を整えること。それも、大人の役割なのではないでしょうか。

「介出」は、強制されて起こるものではありません。自分から出てみようと思えること。出てみても何とかなると思えること。出た先に、何か面白いものがありそうだと感じられること。そうした条件があって、初めて動き出すものなのだと思います。

これから「介出」について考えてみたい

私はこれから、この「介出」という言葉について、少し時間をかけて考えてみたいと思っています。

子どもは、なぜ外へ出にくいのか。どんな壁が子どもを内側に留めているのか。一方で、越境はなぜ子どもを変えるのか。外へ出ることで問いはどう変わるのか。そして、大人はどのように、それを支える仕組みをつくれるのか。

まだ、この言葉は十分に整理されたものではありません。けれども、だからこそ、これから考える価値があるようにも思っています。「介入」が、周囲の方からあいだに入っていくことだとすれば、「介出」は、子どもの方から、自ら外へ向かうことです。この二つは全く別々の話とは思えません。むしろ、よい介入は、やがて介出を支えるところまで行かなくてはならない、といえるのかもしれません。

子どもが、自分の問いを抱えたまま、自分の足で外へ出ていく。その時、何が必要で、何が邪魔になるのか。そんなことを考えてみたいと思います。

10歳からわかる「まとめ」

・「介出」とは、子どもが自分の考えや気持ちを抱えながら、外の世界へ出ていくこと

・それは、ただ場所を変えることではなく、自分の中の「気になること」や「やってみたいこと」を、ほかの人や社会に向かって出してみることでもある

・そのためには、「もっと外へ出なさい」と言うだけでは足らない

・外へ出ても大丈夫だと思えることや、出てみたくなるきっかけが必要だ

*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。

※子どもが、「介」すなわち鎧を脱ぎ、枠を越えていくことを「介出」と呼ぶこととし、その介出には何が必要なのかについて考察をはじめます。