対面的つながりと探究

※「便利になったのに、なぜ一緒に考えにくくなったのか」― 本稿では、探究における「対面的つながり」の役割と大切さについて考察します。

便利になった一方、共に考えにくくなった

私自身は「ひとり会社」勤務ですからこれには該当しないのですが、訪問する事務所等で少し気になる光景を目にすることがあります。隣に座っている相手に、直接声をかけるのではなく、どうやらパソコンを使ったチャット等で連絡を取っているようなのです。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。記録が残り、相手の作業をむやみに遮らずに済みます。現代の仕事において、チャットはとても便利で合理的な道具だといえます。

ただ、その便利さが広がるほど、私たちは何か別のものを少しずつ失っているのではないか。そんなことも同時に考えさせられます。

耳に残った「対面的つながり」という言葉

先週、福井県立丸岡高校で行われた探究の研修会に参加してきました。講師は、日本デューイ学会の会長も務めておられる、早稲田大学の藤井千春教授です。そこで、先生が何度か口にされた「対面的つながり」という言葉が、私の心に強く残りました。

その時、「やはり、人とは直接会って話すのが大事だ」という懐かしい精神論のようなものを思い出していたわけではありません。それが、人が共に考えながら物事に向き合うために必要な条件を言い表している言葉のように感じられたのです。

今の時代、オンライン会議もチャットも当たり前になりました。仕事を進めるためには必要ですし、その恩恵はとても大きいでしょう。けれども、その一方で、対面でしか受け取れないものもあると思います。そのことを改めて考えてみたくなりました。

言葉にならない情報を受け取れるか

対面で人と向き合う時、私たちは言葉以外のものを数多く受け取っています。表情のわずかな変化。声の調子。返事の速さ。反対に、言い淀みや沈黙。少し身を乗り出すなどの、言葉を発する際の体勢。逆に、どこか引いている気配。そうしたものは、テキストのやり取りでは抜け落ちてしまっている情報です。

しかし実際には、そうした「言葉になり切らないもの」の中にこそ、相手の本音や迷い、理解の深さ、あるいはまだ整理されていない考え等が表れているといえます。言葉は伝わっている。けれども、何かが伝わり切っていない。こちらも受け取り切れていない。そんなことは、日常の中で少なくありません。

反対に、幼児とのやり取りの場面を振り返れば、こんなことがいえます。幼い子ども達はまだまだ言葉をうまく使いこなせません。しかし、彼らの感情は、その表情を見ればよく伝わってきます。むしろ、彼らはそれを隠すことの方が苦手です。さらに、身体全体を使った表現からも、思いが伝わってきます。

対面的つながりとは、ただ顔を合わせることではなく、高い解像度で相手を受け取り、こちらを伝えることなのかもしれません。しかも、これらは受け取りの瞬間に、その場でこそ感じ取れるものです。

チャット等の媒介を通すと受け取れないもの、伝わりにくいものがどうしても増えてしまいます。実際、「あぁ、やはりこれは直接話さないと難しい」と感じることも少なくありません。それなのに忙しさや遠慮もあって、無理やり要点だけを文字にして済ませてしまうこともあるでしょう。

ただ、そこで文字にされなかったものの中にこそ、本当は大切なことが含まれているのかもしれません。

整った問いから始まるとは限らない探究

私はここに、探究とのつながりを感じます。探究というと、問いを立て、情報を集め、整理し、考察し、まとめる営みとして語られることが多いでしょう。もちろん、それはその通りです。けれども、探究は最初から整った問いを持って始まるとは限りません。むしろ多くの場合、人は何かに直接触れた時に「あれ?」と思うのです。少し引っかかる。うまく言葉にはできない違和感がある。思っていたのと違う。相手の話を聞いて、自分の見方が揺れる。その揺れの中から、問いの芽が生まれてきます。

つまり探究は、最初から完成された問いを手にして始めるものではなく、対象や他者や状況に触れる中で、自分の中に生まれた違和感を丁寧に育てたり解明したりしていく営みだといえるのです。

効率だけでは生まれにくい「問いの種」

チャットやオンラインのやり取りは、情報伝達の効率という意味ではとても優れている面があります。必要なことだけを端的に伝える。しかし、探究に必要なのは、ポイントの伝達だけではありません。

少し気まずい空気。言い淀み。思わぬ脱線。雑談の中の違和感。そうしたものは、効率だけを考えれば「ノイズ」に見えるかもしれません。けれども、探究の世界では、そのノイズの中にこそ、次の問いの種が隠れていることが少なくありません。

予定通りに整理された会話だけでは見えてこないものがあります。まっすぐ進まないやり取りの中に、人が本当に考え始める瞬間があります。私はそこに、対面的つながりの大きな意味があると感じます。

安心して未整理でいられる関係

職場でも学校でも、本当に一緒に考えるためには、整った言葉だけを交換していては足りないのだと思います。まだ曖昧な考え。迷いの途中にある感覚。確信まではいかない小さな違和感。そうしたものを安心して口に出せる関係があってこそ、人は問いを深めていけます。

「ねぇ。ちょっと聞いてくれる?」「話に付き合ってくれる?」

そんな関係の人が、あなたのまわりには何人いるでしょうか。

探究とは、正解を早く言い当てることではありません。未整理のものを引き受けながら、考え続けることです。その意味で、対面的つながりとは単なるコミュニケーションの形式ではなく、探究を支える土台なのではないでしょうか。

対面だけが正しい、ということではない

もちろん、ここでオンラインやチャットを否定したいわけではありません。それらは今や不可欠な道具ですし、働き方や学び方の可能性を大きく広げてもくれました。遠くにいる相手ともつながれますし、記録を共有しながら議論を進めることもできます。

対面だけが正しい、という話ではありません。むしろ大切なのは、それぞれの良さを理解した上で、何をどの手段に委ねるのかを考えることなのでしょう。

なお、この点については、以前に書いた「第110回 オンサイトとオフライン」でも少し触れました。どちらかといえば、オンラインの便利さを伝えた内容です。今回はそこに「共に考える」という視点を重ね、オンサイトの良さを見直しています。情報を伝えるだけなら、非対面でも十分かもしれません。けれども、問いを深めること、相手の迷いを感じ取ること、まだ言葉にならないものを一緒に育てることには、やはり対面の持つ力が必要であるように思います。

同じ場で揺れを共有すること

便利になったはずなのに、なぜか一緒に考えにくくなった。もし現代の職場や学校にそんな感覚があるのだとしたら、私たちは「情報共有の方法」だけでなく、「人と人がどうつながるか」を改めて見直す必要があるのかもしれません。

「対面的つながり」とはただ顔を合わせることではありません。相手の存在を高い解像度で受け取り、自分の中に生まれた揺れをその場で確かめながら考えていけることにこそ、その魅力があります。そんな関係の中でこそ、探究は本来の力を持ち始めるのではないでしょうか。

10歳からわかる「まとめ」

・人と会って話すと、顔つきや声の感じ、ちょっとした間のとり方までわかる
・すると、「あれ?」「なんでだろう?」という小さな気づきが生まれやすい
・探究は、そういう小さな気づきから始まることが多い
・だから、すぐ答えを出すよりも、同じ場所で相手を感じながら一緒に考えることが大切

*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。

※「便利になったのに、なぜ一緒に考えにくくなったのか」― 本稿では、探究における「対面的つながり」の役割と大切さについて考察しました。