探究は、包みを解くことから始まる

※この記事では、幼児期後期に育つ「主体性」とそれを支える大人のまなざしについて、ある中学校で行った園児とのレクレーションの事例も交えて考察しています。

探究は、ある日突然には始まらない

前々(127)回のブログでは、探究は「ある日突然に始まるものではない」と述べました。

  • 保育園や幼稚園で、触る、試す、失敗する、面白がる
  • 小学校で、それを言葉にし、比べ、工夫し始める
  • 中学校で、社会や他者と結びつけて考え始める
  • 高校で、自分の生き方や進路と重ねて問い直す

探究は、学年が上がったから始まるのではなく、形を変えながら、ずっと続いている営みです。

今回は、その連なりのいちばん手前、幼児期後期(3〜6歳・就学前)に目を向けてみたいと思います。

【参照】 第127回 構成論的アプローチから「探究」を問い直す

幼児期後期は、「主体性」が芽吹く時期

幼児期後期の子ども達は、本当によく問いを投げかけます。「なんで?」「どうして?」「これ、やったらどうなる?」発達心理学では、この時期は自分から世界に関わろうとする力――主体性が育つ時期だとされています。

ここで大切なのは、主体性とは「正しくできること」ではない、という点です。

むしろ、

  • やってみる
  • 試してみる
  • うまくいかない
  • それでも面白がる

こうした経験を通して、「自分が動くと、世界が反応する」という感覚を獲得していくこと。それこそが、この時期の「探究してみる」ことなのだと思います。

「発達」とは、包みを解くこと

ここで少し、「発達」という言葉について考えてみます。

発達は、英語では development と言います。
今からちょうど30年前、私はプロダクトディベロプメント部に配属されました。部署名の日本語は「製品開発」です。そのとき、「development」という言葉が、なぜ「開発」と訳されるのかが気になり、語源を調べたことがあります。

envelope が封筒を指すように、velop には「包む」という意味があります。
そこに、「離れる」「取り除く」を意味する de- が付くことで、develop には本来、「包みを解く」という意味があることを知りました。

この語源から連想すると、
人の発達とは、発達段階ごとに、人が自分自身を少しずつ解放していく過程なのではないかと思うのです。そう考えると、子どもの発達に対する、親や教師など周囲の大人の役割は、何かを与えることや型にはめることではなく、その自己解放を、そっと手伝うことなのではないでしょうか。

コースを外れて走った園児たち

坂井市立丸岡中学校の生徒たちが、「丸岡ラバーズ」という地域探究プロジェクトの一環で、地元の就学前園児とレクリエーションを楽しむイベントを開催しました。複数の園から集まった子どもたちが、対抗リレーを楽しむ企画でした。

体育館の半分ずつを使い、2レースをほぼ同時に進行。四隅にはコーンを立て、それぞれのコースを事前に一周しながら、「ここを回って走るよ」と園児達には伝えていました。

ところが、いざ競技が始まると、何人かの園児が大きくコースを外れ、隣のコースを走ってしまいました。ルールを理解していなかった、というよりも、自分の身体感覚や空間認知を使って、必死に「走る」という経験を引き受けていた、相手に抜かされないよう一生懸命に走っていた。その際、コースが目に入らなくなってしまった。そんな姿に見えました。

感覚は、説明ではなく体験で育つ

自分が乗れる車の遊具で遊んだ後、手に持つサイズの車のおもちゃを見ると、それにまたがろうとする子どもがいます。

スケールエラーと呼ばれるそうですが、正しいサイズ感や距離感、身体の使い方やルールの理解は、説明だけで身につくものではありません。「ごっこ」や「ふり」を含むさまざまな遊び、
そして実際に体を動かす経験を通して、子どもは少しずつ感覚を体得していきます。

発達段階に応じた刺激があります。それをタイミングよく手渡せるかどうか。そこに、周囲の大人の役割があるのだと思います。

絵本は、想像の中で経験を広げる

ごっこ遊びや、ふりをする遊びと同じように、
絵本の読み聞かせもまた、
子ども達にとって大切な「経験」の場だと思います。

子ども達は、絵本を通して、自分がまだ行ったことのない場所や、出会ったことのない人や出来事に触れていきます。それは単なる情報の受け取りではなく、想像の中で世界を歩き回る体験です。

最近、「体験格差」という言葉をよく耳にするようになりました。もちろん、実際に見て、触れて、感じる体験が大切であることは間違いありません。

ただ、少し立ち止まって考えてみると、以前は、誰もが簡単に直接的な体験をできるわけではない、というのが当たり前でもありました。地理や歴史で外国のことを学んだあと、「よし。夏休みに行ってみよう」と言えるのは、ごく限られた家庭だったはずです。多くの場合、手に入るのは、本や写真、映像くらいだったのではないでしょうか。それでも、人はそれらを通して、世界を想像し、理解し、関心を広げてきました。

福井は、かこさとしさんという絵本作家を生んだ地でもあります。絵本作家というより科学者でもあったかこさんは、科学、自然、技術、社会、歴史、暮らし、遊びなど、実に幅広い分野の知識や情報を、膨大な数の絵本として残しました。

それらの絵本は、子どもたちに「正しい知識」を教え込むものではありません。むしろ、「こんな世界があるのか」「どうなっているんだろう」という、次の探究につながる入口を、そっと手渡してくれるものです。

絵本の読み聞かせで、子どもたちの想像力を掻き立てること。それもまた、幼児期後期の探究を支える、大切な関わりの一つだと思います。

「手を出さない」という関わり

幼児期後期の探究は、大人を少しハラハラさせる形でも現れます。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。思わぬ方向に進んでしまうこともある。そのとき、すぐに正解に戻したくなる気持ちをぐっとこらえる。

子どもが「包みを解いている最中」であることを信じて、手を出さずに見守る。それは、何もしないことではなく、とても能動的な関わりなのだと思います。

次回予告|芽が、言葉になっていくとき

幼児期後期の探究は、まだ「問い」と呼べるほど整ったものではありません。それは、遊びの中に溶け込み、失敗と笑いの中に隠れています。

けれど、その芽は確かに、小学校という場で、少しずつ言葉と形を持ち始めます。

次回は、小学校低学年期にスポットを当て、幼児期の探究が、どのように「学び」へと姿を変えていくのかを考えてみたいと思います。

10歳からわかる「まとめ」

・探究は、ある日突然に始まるものではない

・主体性とは「正しくできること」ではない。やってみる、試してみる、うまくいかない、それでも面白がるという経験を通して、「自分が動くと、世界が反応する」という感覚を獲得していくこと

・人の発達とは、発達段階ごとに、人が自分自身を少しずつ解放していく過程なのではないか。周囲の大人の役割は、何かを与えることや型にはめることではなく、その自己解放を、そっと手伝うことなのではないか

・感覚は、説明ではなく体験で育つ

・ごっこ遊びや、ふりをする遊びと同じように、絵本の読み聞かせもまた、子どもたちにとって大切な「経験」の場

*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。

※この記事では、幼児期後期に育つ「主体性」とそれを支える大人のまなざしについて、ある中学校で行った園児とのレクレーションの事例も交えて考察しました。