
企業人へのプレッシャー
私が高校の探究活動に関わり始めたのは2022年からです。当時から私は、企業の人事担当者などに対して、彼らを半ば脅すような発言をよくしていました。「探究を本格的に体験した生徒が新入社員として入社してくる数年後には、『上司・先輩に言われた通りに黙ってやれ』式の指示・指導は益々通用しなくなります。何しろ学校は探究活動を通して、根拠に基づき自身でしっかり考えられる生徒を育てようとしているのですから。理屈に合わないと思うことは拒否され、すぐ辞めていってしまうでしょう。新人の受け入れ準備としてベテラン社員の意識改革に早めに取り組んでおいた方がいいですよ」という具合です。
経営者の抱える不安
ちょうどその直前から新型コロナ禍を体験していたことも影響したのでしょう。経営者側には「世の中これから、いつ何が起こるか益々わからないぞ」との思いが募っていたようです。私の「脅し」が素直に受け止められることも意外に多く、「その通り。社長も役員もみんなもっと柔軟に物事を捉えたり、今までの当たり前を見直したりしていかないといけない」との声が返ってきて、やや拍子抜けした感を味わっていました。
そんなことから、若手とベテランや、所属部署の異なる者同士がチームを組んで、企業が抱える課題の解決に向けて一緒に「探究」に取り組んではどうかという提案にも、耳を傾けてくれる人達が徐々に出てきはじめていました。
前職で、日本だけが実施していたこと
前職での実体験です。勤務するグローバル企業には、規模に応じて各地域や各国にリサーチの責任者がいました。彼らのディレクションのもと、大きな案件は市場調査会社に実査を依頼し、その結果は報告書にまとめ提出されます。ボードメンバー向けの報告会はどのマーケットでも行っており、関連部署のオフィススタッフ向けにも各地で報告がなされていたはずです。しかし、報告会を最前線の現場向けにも行っていたのは日本だけでした。私が全国のブティックを回り、マネージャー以下、全販売スタッフに閉店後に居残ってもらって彼らに報告をし、その後の食事会で感想を聞くというスタイルで実施していたのです。「札幌から那覇まで行脚し、ただ全国の旨いものが食いたいだけだろ」の陰口を物ともせず、これをやめなかったのは、調査報告書に上がってきた消費者の声と、現場の接客担当者が普段抱いている感触の間にズレがないかを確認したいという気持ちが強かったからです。「一般消費者の理解や認識はこんな感じであること」がわかれば、販売スタッフはそれを普段の接客、特に新規顧客の誘い込みに活かすことができます。一方、接客担当者から「私が担当する、ちょっと進んだ感じのお客様は、既にもう一歩、先を行っている気がします。今までと違って、購入の前に何々のことを確認する質問を受けることが増えてきています」のようなコメントが返ってきた時には、今は「外れ値」にも見えるその一部の消費者の声や言動が、異常なのか最先端なのか、無視していいのかそれこそが未来なのか、を考える良い材料になっていました。
私が企業での探究で目指すのは、そういった議論の活性化であり、そのような議論を促す有益な情報を入手するための手法の考案・確立と、それを仕組み化することです。上記の通り、自信を無くすほど経営者が世の中の動きは早いと感じ、自身のこれまでの先見性や決断力を疑うほどの状態にあるなら、トップだけに情報が集まってきたこれまでのやり方を変えていかねばなりません。例えば、社内のいたるところにアンテナを立て、センサーを設置し、各所でキャッチされた情報が、重要な意思決定に際し漏れなく自由闊達に議論されるような企業風土への変革が必要となるのです。
課題の設定
さて、取り組むのが大人であっても探究は探究ですから、今回のワークショップも、例の「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」に沿って作業を進めていくことで計画しています。児童・生徒達とは違い、企業の場合には「課題の設定」で躓くことは考えづらいものです。子ども達は、どんなことでもいいので自分が興味・関心を感じる対象をテーマにしていいよと言われると、普段の授業とは様子が大きく異なるために戸惑います。「えっ、特に取り組みたいことはないけど」との声がすぐに上がります。一方、企業人にとっての興味・関心は、結局のところ、自身が所属する企業や事業部門の存続に関することに集約されていきます。そのため、うっかりすると、課題の設定を飛ばして、いきなり情報の収集に取り掛かろうとしてしまいがちです。しかし、その程度では課題の設定の粒度あるいは解像度が粗過ぎます。それでは、具体的にどんな情報を収集したらよいのかが見えてきません。課題はWhomを含む6Wを満たす文章で書くようにします。「何々商品カテゴリー部門は、20歳代・30歳代の顧客向けの新製品を2年以内に全国で発売し、現在の顧客構成の年齢バランスの悪さを早急に解消しなければならない」という具合です。つまり、3H (How, How Much, How Many) を解明することが残る課題だというところまで詰めるわけです。これは、既存の数値を見て現在の顧客の年齢構成の異常さに愕然として見つけた課題の例です。離反顧客を出さないことをただ成功とだけ見ていると、そのロイヤルカスタマー達が毎年一つずつ歳をとること、店内を闊歩する彼ら現顧客の様子が、店外から眺める若年層の間に「商品は若い自分向けではないに違いない」との想像を喚起し、新客の来店を躊躇させる要因になっていたこと、等に気付くのが遅れます。このままでは、現在の顧客の「引退期突入」と共に、売上が年々しかも急激に減少する未来しか見えてきません。
情報の収集
情報収集の目的は、詰まるところ、課題の解決策の考案・実施に資することです。そのための情報を次々と収集していくことになります。先の例でいえば、どんな新製品なら20歳代・30歳代の人達がそれを買おうと思い、購入をきっかけに新たな固定客になってくれるかを見つけることが課題です。もちろん、現状のままでは入店してくれないなら、入店せずとも製品を入手できる方法も考えなくてはなりません。それらの課題解決の検討に役立つ情報を集め続けねばならないのです。様々な情報を元に、まずは新製品のアイデアを固め、試作品を作り、実験をして、その新製品発売の成功確率が高まるよう改良・改善を重ねていくというプロセスで、こちらの各アクションに対するフィードバックの全てが有益な情報となります。情報イコール「文章にまとめられた最新トレンドレポート」ということでは決してないのです。
なお、ここに至る前段階で、手持ちの数値データを正しく解釈するにあたって、顧客の声を聞く必要があると判断する場合もあるでしょう。販売数量が減っていたり、アイテムによって偏りが出ていたりする原因を顧客の製品評価に求めるようなケースです。その際、実は大変有効な「自社の販売員に尋ねること」を忘れがちです。社内に眠っている資産や有効活用されていないナレッジがないか、真っ先に見回してみましょう。
10歳からわかる「まとめ」
・「探究」のプロセスを企業に取り入れ、企業の課題解決に取り組んでみてはどうかという提案が徐々に受け入れられつつある
・先が読みづらい世の中では、社内外のいたるところでキャッチされた情報が、重要な意思決定に際し漏れなく自由闊達に議論されるような企業風土への変革が必要となる
・課題の設定にあたっては、Whomを含む6Wを満たす文章で「あるべき姿」を表し、そこに到達するために 3H (How, How Much, How Many) を解明することが課題と考えるとわかりやすい
・収集すべき情報とは、アイデアを形にし、その改良・改善を重ねていくプロセスの中で、こちらの各アクションに対するフィードバックの全てのことを指す

ジャートム株式会社 代表取締役
学校・企業・自治体、あらゆる人と組織の探究実践をサポート。
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