
整理・分析・まとめ
情報の整理・分析に関しては、以前もここで書いています。
今回は、整理・分析プロセスにおける対話の重要性について触れてみたいと思います。
学校からの依頼で私がいつも懐疑的になるのは、教師側の生徒達への信頼・理解の度合いについてです。教師は誰か大人を呼んでその人に講演等をさせようと、熟考しないまま無条件に段取りをしていると感じます。普段、自分が授業をする相手である生徒のことをよく知ったつもりでいて、「生徒にはここまでのことを自分で考えるのは無理だろう」と思うのか、先生である自分にもわからないことを、「生徒にわかるはずはないだろう」と思うのか、教師はすぐに「外部の専門家」探しに走ります。そして、探すのが大変だからでしょうが、外部の専門家であれば誰でも良いと思っているかのような行動を取りがちに見えます。自分達が選んだ外部専門家に対する生徒達の評価が低くても、次年度もまたその同じ人物を招聘します。その専門家に対して意見をしようとは全く思わないようです。専門家にも出来る人と出来ない人がいます。使える人と使えない人がいます。説明が上手い人と下手な人がいます。専門家を呼ぶなら、自校の生徒達にベストの人を呼ばなくてはなりません。「講師の話がよくわからなかった」という生徒の声を無視してはなりません。
初めて話を聞く人が当たる確率は低い
私は「すご福」というコミュニティを運営しており、「すご福セミナー」にはこれまで数多くの外部講師を呼んできました。講師を選ぶ基準は、私が先にセミナー等に参加して、そこで出会った講師が今のコミュニティメンバーに相応しいと思うかどうかです。今このタイミングで、メンバーにこの講師の話を聞いて欲しいと思ったなら、声がけをしてお願いし、条件が合えばその方に福井に足を運んでもらったりオンラインでワークシップを開いてもらったりしています。
実際の講義の前には、そのセミナーに特に興味を持ちそうなメンバー達と私で、講師との事前打合せを持ち、こちらの要望を講師にきっちりと伝えます。このような準備は手間ではありますが、講義後のお互いの満足度を高めることには大いに貢献します。打合せの時間拘束代は、私が講師の場合も相手に要求することはありませんし、すご福で、これまでに私が要求されたこともありません。普通に考えれば、おそらくそれは元々の費用のうちに算入されているはずで、講演依頼者から事前打合せの実施を依頼されるのは、講師からしたら当然の申し出に違いないのです。
「話は何でも構わない」わけはない
ところが、学校では「企業人の話は、生徒達はどんな話でも新鮮に感じるはずです。どうぞお好きなように喋ってください」などと言われます。そして、終わった後で、「実はあの話は、似たようなことを別の講師の方が先日してくださったのですよ」などと言われることもあります。「だから言ったでしょ」ということなのですが、先生という人達は、きっと我々の想像をはるかに超える忙しさに日々追われているのでしょう。
納得がいかないのは
時々出くわす場面でそれは良くないと感じるのは、あることを、あたかも生徒が悪いかのような文脈で聞かされる時です。「データサイエンス系の話はウチの生徒にはどうも難しいらしく」というのが典型例ですが、そもそも何故データサイエンスの講義を大学教授等に依頼するのかが不明です。生徒の様々な探究プロジェクトのうち、その推進にあたってデータサイエンスの知識が必要となるものの数は多くはありません。講義を必要としておらず、他にやらなくてはならないことがある生徒に集中して話を聞けという方が無理なのです。しかも、例の如く、教授に事前ブリーフィングなどしていないのですから、教授もやや焦点がズレた話をしてしまいがちでしょう。ゆえに教授を責められないのかもしれませんが、生徒を責めるのも明らかに筋違いです。
また、ある時は、生徒が既によく理解していることを知らないものと決めつけて教えようとして失敗した例も耳にしました。パワーポイントの使い方を指導するプロの外部人材を数多く、数人ずつの各グループに一人ずつ付く程の割合で集め、仔細に指導できるよう取り計らったのですが、生徒はそれをまるでボイコットしたというのです。何か教科書的な素材に沿って、基礎を順に教えようとしたことに対する生徒達の反応でした。その後、一年間の彼らの活動をまとめるパートを受け持った私は、後日、彼らと会い、とにかくまずは自分達だけで発表素材を作ってみてもらいました。率直に言って、何の不都合もありませんでした。基本的なパワーポイントの機能なら、彼らは既に身に付けていたというわけです。今の子ども達は小学校の時代から既にパワーポイントに触れているのです。子ども達の、何年生で何を習うという学習カリキュラムに、校種を超えて教師が関心を持っていればこのような齟齬は起きないはずなのです。
話すと聴くについて
話すにはおそらく「放す」の意があり、聴すと書いて「ゆるす」と読むというのを君は知っているか、とお師匠さんから尋ねられたことを思い出します。対話を成功させるには、まずは自分の心を放つこと心を相手にゆるすこと、かつ、先入観など持たずにとにかく素直な気持ちで相手の話に耳を傾け傾聴することだと教わりました。
先生と生徒という立場の違いは関係ありません。一人と一人の人同士です。
講師の話より生徒同士の対話
「話すと聴くのルール」がわかりさえすれば生徒同士だけでも探究は充分進められます。よくわからないまま話していることをちゃんとわかって話せるようになりたいと思う、聴いてよく理解できなかったことを自分達で調べようと思う、それを繰り返すだけで探究は成立します。調べが付かない時は、そのタイミングで、知っていそうな人を自分で探してその人に話を聴きに行くのが正しい姿です。その人を、誰かが予め用意しておくことなどできません。
10歳からわかる「まとめ」
・外部講師を学校に呼ぶ場合には、生徒の要望に合う話をしてもらえるよう綿密な事前打合せが大切
・対話を行う際には、話す(=放す)と聴く(「聴す」の読みは、ゆるす)の本質を理解して取り組む
・その後、必要に応じて、外部講師を生徒が自分で探してくるのが理想。教師に予め用意してもらうものではない

ジャートム株式会社 代表取締役
学校・企業・自治体、あらゆる人と組織の探究実践をサポート。
Inquiring Mind Saves the Planet. 探究心が地球を救う。