
※本稿では、「あるものでなんとかする」ために、「ないところは算数でつなぐ」ということについて、考えます。
不完全さのマネジメント
みなさん、こんにちは。光成章です。
前回は、算数というレンズを使って、校庭の砂利の山を「ざっくり」透視する視点と、テーマパークの来場者数を「細かく変数を分けて」予測するようなデータサイエンティストの視点の、2つの異なる視点について述べました。
今日お話ししたいのは、さらにその一歩先。手元に電卓も、定規も、秤(はかり)もない。そんな「道具が足りず不完全なため、『アダプト』が求められる状況」に置かれたとき、私達は算数をどう味方につければいいのか、ということについてです。
マネージするとは「(あるもので)なんとかする」こと
実は、私は昨年度、ある高校で「マネジメント探究ゼミ」のファシリテーターを務めました。そのゼミで、メンバーの高校生達に一貫して伝えていたスタンスがあります。それが、「計画して、まずはやってみて、失敗して、学ぶ。大きな学びは次回のため。目先については、今あるもので、とにかくなんとかしてやり遂げる」ということです。
ビジネスの現場も、これからの変化の激しい人生も、最初から完璧な道具や正解が揃っていることなど滅多にありません。不完全な状況の中で、いかに「自らのミッションをやり遂げるか」。それが「自らの人生を舵取りする」ことに直結していきます。そのために必要なものの一つが、実は算数的な知恵なのです。
江戸時代、日本中でミリオンセラーになった『塵劫記(じんこうき)』という本があります。ここには、お米の収穫量をざっくり計算するために自分の足で歩いて土地を測ったり、升(ます)がないときにお椀で代用したりする、まさに「生きるための算数」が詰まっていました。ちなみに、塵劫は仏教用語で「途方もなく長い時間」のこと。塵劫記の名前には、長い年月を経ても変わらない真理の書という願いが込められているそうです。
この「生きるための算数」を、現代の教室でもやってみるなら、私は、たとえば、こんな問いを投げてみたいと思います。「もし、巻き尺も定規もなかったら、どうやってこの広い校庭の周りの長さを測りますか?」
6年生と3年生の、「おや? 計算が合わないぞ」事件
道具がないなら、子ども達は知恵を絞らざるをえません。おそらく、「自分の身体」を基準にして測ることを考え始めるでしょう。「歩いて数えよう(歩測)!」。自分の1歩がだいたい何センチかは、友達から靴を借りて、それを、一歩の間に並べれば測れるでしょう。測ることを意識し過ぎると、普段より大股になりがちです。「普通に10歩あるいて、5歩目から6歩目への一歩を測ろう」というような提案なども、話し声の中から聞こえてくるでしょうか。
ここで、ちょっと面白い仕掛けをしてみましょう。 このワークを、3年生と6年生の異学年で一緒にやってみてもらうのです。
それぞれが「マイ歩幅」を基準にして校庭の周りを歩き、黒板に結果を発表します。まずはそれぞれ歩数を書き出してもらいます。すると、当然ながら事件が起きます。
「あれ? 6年生の数字と3年生の数字が全然違うぞ!」3年生はざわつきます。「足し算は間違えてないよ」「何回も確認した」。そこで、隣に並んだ6年生の体格を見て、子ども達は気づくのです。「あ、オレら、まだまだ脚が短いワ(笑)」
ちなみに、私のように老年に差し掛かった大人は毎年少しずつ歩幅が狭くなっていきますが、子ども達の『マイ基準』は、物理的にどんどん成長していきます。(羨)
ここで伴走者である先生が投げかけます。「では、各学年とも歩幅を掛けて、まずは、校庭の周囲の長さを計算で出してみてください。そして、次に、相手の学年の歩幅も予想してみてください」。
「おっ、校庭の周囲の長さは、だいたい6年生と同じくらいだ」「でも、途中の数字は、測る人の『身体』によって変わるんだね。」
「さてさて、それでは、3年生のみんな、次の問題にいきますよ。今、ここにいない4年生と5年生の歩幅と歩数を予想してみましょう。さて、どうやって予想しますか? 君たちが『だいたいこれくらい』と胸を張って言える数字を手に入れるには、どうしたらいいでしょうか?」
「失敗」という名の大切な学び
・4年生にも全く同じような手間ひまをかけてやってみてもらおうとする子。
・少しの距離だけ歩いてもらって歩幅を確認し、歩数は計算で出そうとする子。
・わざわざ何かやってもらわなくても、計算だけで出せるという子。
最後の計算派の子どもは、どうやら「3年生と6年生の間に4年生と5年生がいるのだから、さっきわかった歩数の差を三等分すれば、4年生と5年生のおよその数字が出るだろう」と考えたようです。6年生の数字があったからこそ、できるやり方ですね。
「定規がない」という失敗しそうな不完全な状況から始まった今回の取り組み。「事件」を経て、子ども達は自分でやり方を考え、やってみて、ズレ(失敗)から学びました。さらに、その学びを他の予想に役立てるところまで辿り着きました。
算数の時間を、教科書にある「きれいに整えられた数字」を使った擬似体験だけで終わらせてしまっては、非常に勿体ないと感じます。ままならない現実に対して、自分の頭と身体を使ってアプローチし、「だいたいこのくらい」という納得解を導き出すところまでやってみる。
子ども達が将来、自分達の力で生きていくためのマネジメント(なんとかする)の訓練としては、これこそが大切なのではないでしょうか。
「遺題継承」: 問いのバトンを渡す
さて、今回の「遺題(未解決の問い)」についてです。
完璧な道具が揃うのを待つのではなく、今ある道具に自身の身体と知恵を加えて、世界を測りに行く。子ども達に、そんな逞しい算数の時間を今よりもう少しだけ多くプレゼントするために、たとえば、次のような語りかけはどうでしょうか。
10歳からわかる「まとめ」
(先生、ニヤリと笑ってこう語りかけてみてください)
「今年、みんなの『マイ歩幅』で測った校庭の長さと、来年、進級してから同じように測ってみる長さ。もし計算の結果が変わってしまうとしたら、それは校庭が縮んだのかな? それとも、何が変わったんだろう? 1年後の自分達に宛てた『校庭の測り方・説明書』と、来年についての、今のみんなの予想回答(歩幅と歩数)を奉納してください。答え合わせができるのは、来年の今頃です。」
*本原稿は、ジェミ兄さんとの対話を基に構成されました。
※本稿では、「あるものでなんとかする」ために、「ないところは算数でつなぐ」ということについて、考えました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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