芽が、言葉になっていくとき

※この記事では、児童期に育つ「考える探究」について、ある小学校での事例も交えて考察しています。

芽は、いつの間にか言葉を持ち始める

前回は、幼児期後期の探究を「芽」にたとえました。

  • やってみる
  • 試してみる
  • うまくいかない
  • それでも面白がる

そうした経験の積み重ねが、静かに育っていく過程を見てきました。では、その芽は、その後どうなるのでしょうか。今回は、児童期、特に小学校の低学年から中学年頃の子ども達に焦点を当て、探究が「言葉」を持ち始める過程について考えてみたいと思います。

【参照】 第129回 探究は、包みを解くことから始まる

「なんとなく」から「なぜなら」へ

児童期に入ると、子どもたちは少しずつ自分の考えを説明し始めます。

「たぶん、こうだと思う」「だって、前はこうだったから」「でも待って。ここが少しおかしい気がする」

まだ拙くても、頭の中で起きていることを言葉にしようとし始めるのです。この変化は、とても大きな意味を持っています。探究が、「感じるもの」から「考えるもの」へと姿を変え始めていることを示しているからです。

空想と現実のあいだで生きる子ども達

児童期の子ども達は、まだ空想の世界の中に強く生きています。ゲームの世界、テレビのアクションヒーローの世界、絵本や物語の世界、自分の頭の中で出来たお話の世界。

「普通の人はそんなに高く飛び上がれないよ」「みんなはまだオートバイに乗れないよ」話の途中で、そんなことをリマインドしなくてならないことも時にはあります。一方で、現実のルールや因果関係も少しずつ理解し始めています。

この時期の子どもは、空想と現実のあいだを行き来しながら生きている存在なのです。ここで大切なのは、空想を否定することではありません。むしろ、その空想を、どう現実とつないでいくかが問われています。

AIカメラがゴミを見つけてくれる仕組み

困りごとを解決してくれるアプリを開発するプロジェクトに取り組んだ小学生が、「AI搭載カメラからのお知らせで、ゴミが落ちているところがすぐにわかるようにしたい」というアイデアに取り組んでいました。室内だけでなく、屋外でもそのシステムを使いたいと考えたのですが、最初は、どこからその「現場」を撮影するのかということに発想が及んでいませんでした。予めカメラを設置する必要について考えられていなかったからです。しかし、「簡単には無理か」と気付けば、軌道修正に時間がかかることはありません。まずは、自分の部屋の中やショッピングセンターなどの施設内なら可能だということに話が進み、まずはそこから始めてみようとなりました。

言葉にすると、ズレが見えてくる

児童期の探究で、特に重要なのが「言語化」です。考えを書いてみる。話してみる。やり方を口に出して説明しようとしてみる。友達の意見を丁寧に聞いてみる。すると、子どもは気づき始めます。

「あれ?なんか変だな」「ここ、つながっていないかも」「これ、無理じゃない?」

おかしなところや矛盾に気づく力は、探究を深める大きな原動力です。その「あれ?」に気づくのは、言葉にしようとしてみた時なのです。

発達心理学者エリクソンは、児童期の課題を「勤勉性と劣等感の葛藤」と表現しました。

簡単に言えば、「できるようになりたい自分」と「できない自分に落ち込む自分」が、心の中でせめぎ合う時期だということです。

「うまくいかない」が、次の工夫を生む

小学校も高学年になると、だんだんと友達と自分の差が気になってくるかもしれません。自分の苦手にも気付き始める頃でしょう。ただ一方で、自分の理想とのズレにも敏感になってくるようです。高学年の発表を見ていると、どのグループも本当に丁寧に準備してきていることが伝わってきます。まさに「勤勉」という言葉がふさわしい姿です。

私は本番前のリハーサルを見ることが多いのですが、そこでよく目にするのは、子ども達自身が「思った通りのように、うまく事が運んでいない」ことに既に気づいている、違和感を抱いて、どうしようか考え始めている様子です。

例えば、三択クイズの回答時間を「10秒」に設定している場面。多くの場合、やってみると、間が空いて、会場の雰囲気が「のってこない」印象を漂わせます。

私は、こう聞きます。

「10秒って、ちょっと長いのかな?どう思う?」「5秒くらいの方が、緊張感や焦りも出て、盛り上がるかもね」

すると、子ども達は色々と試してみはじめます。

「7秒が一番しっくりきます」「7秒でいきます」

また、スライドの説明の順番が、実演と離れてしまうこともよくあります。

「説明と見せるところ、もう少し近い方が伝わりやすいかもね」「あとね。一回ずつしか言わないようにしているみたいだけど、説明は最初と、やっている場面と、二回言うことになってもおかしくないかもしれないよ。やってみて、それを聞いた人がどう感じるかを尋ねてみたら?」そんなふうに声をかけます。

大切なのは、「できていない」と指摘することではなく、「どう少しズラせば、よりよくなるか」を一緒に考えることだと思っています。

大人は「橋をかける存在」

この時期の子どもに対して、大人がついやってしまいがちなのは、「現実を教えること」です。

「それは違うよ」「正しくはこうだよ」

もちろん、それが必要な場面もあるでしょう。

けれど、より大切なのは、空想と現実の間、「やっているつもり」と「ちゃんとできる」の間に、橋をかける手伝いをすることです。

「どうしてそう思ったの?」「それって、ここにつながるね」「じゃあ、確かめてみようか」

まず言葉にすることを手伝い、実際に、その言葉の説明の通りになるかどうかを一緒に確かめる。こうした関わりで、探究活動は「学び」につながっていくのだと感じます。

次回予告|中学生編へ

児童期に育った「考える力」は、中学生になると、社会や他者との関係の中で問い直されていきます。

次回は、中学生期の探究に焦点を当て、自分の問いが、どのように社会と結びついていくのかを考えてみたいと思います。

10歳からわかる「まとめ」

・児童期に入ると、子どもたちは少しずつ自分の考えを説明し始める。拙いながらも、頭の中で起きていることを言葉にしようとし始める

・児童期の子ども達は空想と現実のあいだを行き来しながら生きている存在。「言語化」の作業が大切な役割を持つ

・発達心理学者エリクソンいわく、児童期の課題は「勤勉性と劣等感の葛藤」。「できるようになりたい自分」と「できない自分に落ち込む自分」が心の中でせめぎ合っている

・大人は、「どう少しズラせば、よりよくなるか」を一緒に考える存在でありたい

*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。

※この記事では、児童期に育つ「考える探究」について、ある小学校での事例も交えて考察しました。