
※「介入」第3回の本稿では、越境についてと、それが子どもに与える影響について考えます。
外へ出てみてわかること
前回は、子どもがなぜ外へ出にくいのかについて考えてみました。そこには、恥ずかしさや不安だけでなく、自分を守るための鎧や、自分と外の間に立つ仕切りのようなものがあるのではないか、という話でした。
子どもは、そう簡単には外へ出にくいのかもしれません。けれども、外へ出ることには子どもを変える力があると思います。もちろん、ここでいう「外へ出る」は、ただの外出ではなく、違う人と出会うこと。違う世界に触れること。それまで自分がいた枠の外に出てみること。境界を越えてその向こうに行くこと。つまり「越境」のことを指しています。この越境こそが、子どもを変える一つの大きな契機なのではないかと思うのです。なぜなら、境界を越えると、それまで当たり前だと思っていたことが揺らぐからです。教室の中では通用していた見方が、外ではそのまま通じないことがある。自分の問いが、別の人にとっては何か異なる意味を持っていることに気づく。思ってもみなかった現実と出会い、自分の考えがそのままでは足りないと感じる。そうした経験は、子どもの中に、静かに、けれど大きな、変化を起こすのではないでしょうか。
今回は、この「越境」について考えてみたいと思います。越境は、なぜ子どもを変えるのか。そのことを少し掘り下げてみたいと思います。
外へ出ることすなわち越境ではない
まず、ここで一つ整理しておきたいことがあります。それは、「越境すること」は、単に「外へ出ること」とは同じではないということです。
通学できている児童・生徒は、教室の外へ出ることができています。学校の外へも出られています。けれども、ただいつもの通学路を辿っているだけなら、その「屋外の道」は、もはや自分の「内」にあるようなものかもしれません。1年生の最初の登校日には、きっと景色は違って見えていたはずです。自分の見え方や考え方が揺れるような外出。そうであれば、それは「越境」と呼べるでしょう。越境とは、おそらく、自分がこれまで「普通」「当たり前」だと思っていた枠の外に出ることです。それは場所の移動であることもありますが、それ以上に、見方の移動であり、立場の移動でもあります。たとえば、同じ地域の中であっても、ふだん接点のなかった大人と話すことは、一つの越境かもしれません。同じ学校の中でも、別の学年の子と一緒に考えることは、一つの越境かもしれません。逆に、遠くへ行っても、ただ「見てきた」だけなら、越境は起きていないことの方が多いでしょう。
越境は、物理的に動いたかどうかだけでは決まりません。それまで自分が立っていた前提が揺らいだか。自分のものの見方が少し変わり始めたか。そこにこそ、越境の本質があるのだと思います。
越境すると「当たり前」が揺らぐ
子どもは、ふだん自分がいる場のルールや価値観を、あまり疑わずに生きています。教室の中には教室の中の当たり前があります。学校の中には学校の中の当たり前があります。そして、その中に長くいればいるほど、それは「そういうものだ」と感じられるようになってきてしまいます。越境は、その当たり前を揺らします。たとえば、自分にとっては大切だと思っていた問いが、外ではまったく別の角度から見られることがあります。教室ではうまくいっていた説明が、地域の人にはうまく伝わらないことがあります。反対に、自分ではたいしたことがないと思っていた着眼点が、外の人にとっては新鮮で重大に映ることもあるでしょう。そうした経験は、子どもにとって少し戸惑うものでもあります。けれども、私はその揺らぎが大切なのだと思います。なぜなら、人は自分の当たり前が揺らいだ時に、初めて本当に考え始めるきっかけを持つからです。
教室の中だけでは見えなかったものが見えてくる。自分とは違う前提で生きている人がいることを知る。その時、子どもは「ただ知識が増える」のではなく、自分の見ていた世界そのものを見直し始めるのではないでしょうか。
問いは外に出ると別の意味を持ち始める
探究において、このことは特に重要だと思います。教室の中で立てた問いは、教室の中では、どこか「学習課題」のような顔をしているでしょう。もちろん、それも大切です。けれども、その問いを外へ持ち出した時、突然、その意味が動き出すことがあるのです。たとえば、自分たちが考えていたテーマが、誰かの暮らしや仕事に直接つながっていることに気づく。あるいは、自分たちの提案が実際の現場ではそう簡単には通らないと知る。反対に、「そんなことを考えてくれていたのか」と外の人に感謝とともに受け止められ、問いが急に現実の重さを帯びることもあるかもしれません。
そうなると、問いはもはや「調べてまとめるためのもの、だけのもの」ではなくなります。誰かと関わり、何かを変えようとする問いへと上昇していくでしょう。問いは、外に出ること、外に出すことで、別の意味を持ち始めるのだと思います。そして、その意味の変化を間近に見ることこそが、子どもが変わる原動力になるのではないでしょうか。自分の問いが、自分の内側だけにあるうちは、まだどこか安全です。無害とも呼べるかもしれません。けれども、外へ出た問いは、質問にさらされ、揺さぶられ、試されます。その中で、子どもは、自分の問いをより深く持ち直すことになります。ここに、越境の大きな価値があると感じます。
越境は自分を知ることでもある
越境というと、私たちはつい「外の世界を知ること」「他人を知ること」だと思いがちです。もちろん、それもあるでしょう。自分の知らなかった人と出会い、知らなかった現実に触れる。そこには確かに、外の世界を知るという面があります。けれども、越境とはそれだけではないと思います。越境は、他者を知ることと同時に自分を知ることでもあると思うのです。違う世界に出会うと、自分が何を当たり前だと思っていたのかが見えてきます。自分が何を怖がっていたのかもわかってきます。自分がどこでためらい、どこで反応し、どこで言葉を失うのかも、外に出た時のほうがよく実感できます。つまり、越境は、外の景色を広げると同時に、自分の輪郭をはっきりさせるのだと思います。その意味で、越境は他者理解であると同時に、自己理解でもあります。
子どもは、境界を越えることで、別の世界を知ります。けれども同時に、「自分はこういうところに立っていたのか」「自分はこういうことに引っかかるのか」と、自分自身の立ち位置も知っていくのです。これは、かなり大きな変化をもたらすでしょう。
越境は、いつも心地よいとは限らない
ただし、ここで大事なのは、越境はいつも明るく楽しいだけのものではない、ということです。外に出れば自分の未熟さを知るでしょう。思いがうまく伝わらない。教室の中ではわかったつもりだったことが、外では通じない。ときには、自分の考えの浅さに気づいて落ち込むことさえあるでしょう。越境には反応がつきものです。その反応をどう受け止め、どう支えられるかによって、越境の意味は大きく変わってくるのだと思います。子どもは、外へ出せば自動的に成長する存在というわけではありません。
伸びることもあれば、凹んでしまうこともあるでしょう。その意味で、子どもを外に出すことには、ある種の賭けのような面もあります。それでも、越境には価値があると思います。なぜなら、戸惑いや揺らぎの中でこそ、本当の意味で自分の問いを見直し、持ち直すことができるからです。初めて目に入ってくるものを見る経験は、たとえ心地よくなくても、たしかに子どもを変えるのではないでしょうか。越境をただ「させればよい」と考えるのではなく、大人には、その揺らぎを支えることが求められます。その際、もし、自分から「外に出たい」と思うように子どもの意識を促すことができるなら、揺らぎへの支えは小さくて済むかもしれません。
越境が変えるのは子どもと世界との関係
越境が子どもを変えるのは、そこで得られる情報が増えるからだけではないと思います。むしろ大きいのは、世界との関係が変わることなのではないでしょうか。それまで見ているだけだった世界に、自分が少し関わり始める。それまで「向こう側」だったものに、自分の問いや行動が触れ始める。すると、子どもは、ただ知っている人ではなく、少しずつ関わる人へ変わっていくのだと思います。教室の中で考えていたことが、外の人に届く。自分の問いが、現実の誰かとつながる。あるいは、自分の中の迷いが、別の世界との出会いによって動き始める。その時、子どもは世界を「対象」として見るだけでなく、自分もその一部として位置づけ始めるのではないでしょうか。
私はそこに、越境が子どもを変える理由があるように思います。知識が増えるからではなく、世界との距離が変わるから。問いの持つ意味が変わるから。そして、自分の立ち位置そのものが変わり始めるからです。越境は、世界の中で自分の立つ位置を変えていくこと。そして、その位置の変化によって、それまで見えていなかった景色に気づくことなのだと思います。
10歳からわかる「まとめ」
・外へ出ることは、ただ場所を変えることではない
・ちがう人やちがう世界に出会って、自分の考え方や問いが変わることだ
・そうすると、今まであたりまえだと思っていたことがゆれたり、自分のことが前よりよく見えてきたりする
・だから、越境には、子どもを変える力があるのだ
*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。
※本稿では、越境についてと、それが子どもに与える影響について考察しました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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