「すごい人」へのジェラシーの感情を活かす

ジェラシーの感情をプラスに変える

脳内検索®︎に関連するツールに JealousListening®︎があります。自身が抱くジェラシー(嫉妬)の声に耳を傾けるプロセスです。嫉妬心を抱くことはネガティブな行為であるだけにパワーがあります。その力の向かう先をプラスに、利用目的をモチベーションに変えるよう自己対峙していきます。

私には、勝手に「お師匠さん」と呼ばせてもらっている目標人(もくひょうびと)がいます。アソさんです。

出会いは1986年の夏。私が大学4年生で就職活動をしていた頃です。ある会社の入社試験を無事通りました。人事部の人と仲良くなり、どんな部署に行きたいのかを尋ねてもらえました。「企画がしたいです」。世間知らずで何も考えていない大学生にありがちな反応を示した私に、人事のオカさんは「じゃあ、プランニングのトップに会わせてやろうか」と言い、面談の段取りを整えてくれました(いま思い返すと、このオカさんが私の大恩人です)。

「これがオーラというやつか」。面談の記憶はずっと圧倒され続けていたことと、アソさんの本心である「他をあたりなさい」の言外メッセージが伝わって来ていたことでした。組織をよく知る立場からの思いやりもあったかもしれません。でも、そんなことを私は目に入れません。耳に通しません。風を読めるような鼻はもともと持ち合わせていません。「この人のそばで働きたい」。それ以外、思うことはありませんでした。

アソさんとの圧倒的な差・距離を目のあたりにし、抱いたのはジェラシー。いつか超えてやるという「めらめら」。アソさんは明らかに「学校教育の産物」ではありませんでした。学校に属していた時間は短かく、あとは自身の腕一本で人生を切り開いてきた人。一方、私はとりあえず学校に属してきただけ。時間を無駄にしてきた後悔と焦りを強烈に抱きました。

面談直後からオカさんに対し、「それが入社の条件です」くらいの勢いで配属を願う猛アタックを続けました。そして、運良く、翌1987年春からアソさんの60歳定年退職までの丸二年間、36歳年下の私は、専務机の横に、縦にした自分の机をくっつけさせてもらい、毎日、左側面からアソさんの一挙手一投足を見て学ぶ機会を得たのでした。
「こんな変な奴は誰かディレクターのチームに入れるわけにはいかない。チーフプロデューサーのオレが直接目を光らせていないと」。きっとそんなところだったと思います。

毎朝、目が覚めると同時に、涙が頬をつたう日々

アソさんは、ことあるごとに「この先、どうするんだ」と聞いてきました。横に座っているので、新聞を読みながらでも、それをぽろっと突然、聞いてきます。当時の私にはこれが実にこたえました。1年経っても答えが口から出て来ません。プランナーとしてやっていきたいという夢はあっても実現の手段が見つからない。辿るべき、先に続く道が見えてこない。いつしか、毎朝涙を一雫(しずく)流すのが習慣となっていました。

しかし、登「社」拒否にはならずに済みました。なぜか。それはアソさんへの「めらめら」がまだ続いていたからです。飽きさせないというと失礼ですが、アソさんは、奥に遠いし、幅は広いし、下に深いし、上に遥かで、どっちを向いても「突き当たり」が見えない人でした。

毎日やっていたことは「打経」

アソさんは手書きの人でした。スピーチの人でした。当時プレゼンはありました。というより広告業界では既に大流行していました。ただ、パワーポイントはまだありませんでした。1980年代です。Windows 95 の登場はあと8年ほど先です。

プレゼンは全て暗記し聴衆の目をしっかり見て語りかけて行うものでした。途中で質問が出れば、臨機応変にそれを取り込みながら対話形式で行います。

「まずはオーバーヘッドプロジェクターのシートで説明しますね」という、ある種一方通行の時間はできるだけ短く細切れにした方が「双方向」を演出しやすくなります。それができるのは、伝えたいことの構造と、聴衆の現状の理解レベルの掛け算がうまく整理されている場合です。

アソさんは、スピーチ原稿を作る際、伝えたいことや、それに関連して思い付くことを、一旦、一項目ずつ付箋に書き出し、それを机上で動かしながらKJ法A型図解(文化人類学者・川喜田二郎氏が考案した発想法による図解)を完成させていました。アソさんの手書きによる図解はなんとも味のあるものです。それを見ながら書き起こす原稿も当然手書きですが、一応、記録のためにワープロで打って保存しておきました。

当時は、ソフトは一太郎で保存媒体は5インチの磁気フロッピーディスクです。当時、私はそれを一枚、折れ曲がったり傷が付いたりしないよう慎重に管理していました。アソさんのスピーチ原稿を、あたかも「打経」した上でディスクに保存し、リクエストがあれば印刷します。印刷文字のドットが粗く、階段みたいな字が並んだA4用紙への打ち出しが懐かしく思い出されます。

KJ法A型図解の例

やって見せ、言って聞かせ「ず」させてみて

やって見せてくれた企画プレゼン書を打経させてもらう他に、言って聞かせることなく自由にさせてもらったことがありました。それは、営業職向け企画力研修の企画・運営と講師役です。相手は若手とはいえ新卒同期か先輩ばかり。経験値ゼロの私のいうことなど聞いてくれる訳がありませんがやるしかありません。やりました。

新人の私に先生役をやらせたアソさんの意図は、フランス人哲学者ジョセフ ジュベールよろしく、「教えることは二度習うことである」だったと思います。講師役で私が老獪・アソさんの真似をしたところで、ぴたっとはまることは絶対にありません。ひたすら純朴アピールです。アソさんが老練(ろうれん)でなく老獪(ろうかい)だというのには理由があり、自身で仕切った管理職向けの企画力研修内容が流石でした。(これについては読者交流会ででもお話ししましょう。)

続く、「褒めてやらねば」のアソさん流は「添削してやらねば」でした。そのおかげで私の書く文章は、贅肉を削った筋肉質のものに近づいていきました。

たまに頼まれたのが「プルーフ探し」

一つだけ、アソさんが自身ではやらなかったことがありました。スピーチで話す内容の裏付け資料の収集です。そのプルーフ(証明)探しが私の役目でした。アソさん流では、集めたエビデンスに基づき戦略を組み立てることはほぼありません。先にラフな戦略を思い描き、そこに辿り着くまでの道の途中にある関所を、プルーフを提示しながら一つひとつ通過していくようなイメージです。そうこうしているうち、探すよう言われた裏付けとは異なる裏付けを思い付き、「この山には、別ルートから登る手もありそうですよ」と私からアソさんに言えるようにもなってきていました。そろそろ期限の2年が近づいてきていた1989年のお正月。ようやくといったところでした。

時代はバブル景気に突入。新人類と呼ばれた我々世代の中には第二新卒として転職していく者も現れ始めていました。アソさんからのワンオンワン指導が一旦ここで節目を迎え、私はリサーチの道へ独り立ちすることになりました。今思い返せば、この二年間は、アソさんという、この上ないメンターを得た私の「集中自己探究」期間でした。今、私が高校の探究科目に興味を持つのは、この経験があったからこそ。それは間違いありません。

まずは自分の嫉妬心を受け入れる

JealousListening®︎はまず、自分の嫉妬心を受け入れるところから始まります。他人に嫉妬を抱く自分に驚いた人も、恥ずかしく思った人も、いつものことだという人も、まずは、自身の心の声を聴きます。嫉妬の対象と自分の間の距離を測ろうとし、計測不能の現実を受け入れます。測れる程度の差なら憧れの範囲と呼べるでしょうか。

次に、あなたのジェラシーの対象のすぐ近くまで行きます。側で観察していると、その人自身のジェラシーやコンプレックスが、ひとつやふたつは目に入るものです。少し安心できたなら、なぜ自分はその人に嫉妬を抱くのかを冷静に見つめ直してください。そして、その嫉妬を軽減させる方法、すなわち「自分も捨てたものではない」と思える何かを探します。見つけられたら、それを極めるための「探究の旅」に出発しましょう。

10歳からわかる「まとめ」

・自分のまわりの「すごい人」をたくさん知ろう
・「すごい人」の中で、「自分もそうなりたい」と強く思う人が見つかったら、その人を目標人(もくひょうびと)として、少しでも近づけるよう努力をしよう
・いつか衝撃を受けるくらいの「すごい人」に出会ったら、その人に自分が勝てそうなところを、なんとかひとつ、探し出してみよう
・それがあなたの強みだから、そこをどんどん伸ばしていこう

【旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン2023年6月21日公式掲載原稿 現:作家たちの電脳書斎デジタルデン 出版事業部 (https://digi-den.net/)】

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