日本人にこそ推すエビデンス思考

楽をしたがる脳

行動経済学の有名な実験に、シーナ・アイエンガーによる「ジャムの実験」があります。スーパーの試食ブースにジャムを24種類並べた場合と6種類並べた場合の、人々の行動の違いを観察しました。24種類では珍しさも手伝ってか比較的多くの人を集めましたが、購入したのはそのうちの3%でした。一方、6種類では購入率が30%に上りました。

私たちは、選択肢を多く与えられるほど自分が尊重されていると感じがちですが、脳が快適に感じるのは少ない選択肢の方のようです。バリー・シュワルツは「選択肢の多さが幸福度を下げる」(選択のパラドックス)と主張しています。

楽ができる「思考停止のチャンス」を自分の脳が常に狙っていることを、私たちはよく覚えておくべきです。

【参照】 選択をしやすくするには

【参照】 選択のパラドックスについて

思考停止が起こす事態

思考停止で「脳の幸福度」を高く保てたとして、停止した頭での判断はどんな結果を引き起こすでしょうか。スタンレー・ミルグラムやフィリップ・ジンバルドーによる実験の結果には背筋が凍ります。

ミルグラムは1962年、一般から被験者を集め、ある実験を行いました。教師役と生徒役に分けた40組のペアを作ります。教師役は生徒役に問題を出し、答えを間違えたら電気ショックを与えるようにと伝えられます。最初の罰は45ボルトで、間違えるたびに15ボルトずつ電圧を上げるよう指示されました。実は、生徒役はサクラで実際には電気は流れません。「135ボルトでうめき声を上げ、150ボルトで絶叫し、330ボルトでは意識を失い無反応になる」よう、指示された基準に従い演技をしていました。

さて、実験はどうなったでしょうか。教師役の被験者は誰一人として300ボルトに達する以前に中止することはありませんでした。それどころか40名中25名が、相手が無反応状態になってからも最大上限の450ボルトまでスイッチを押し続けたのです。

この実験は、指令者の存在が人に残酷な行為をさせてしまうことを示すものです。実験の背景はナチス戦犯アイヒマンの裁判に関係します。普通の市民でも、一定の条件下ではユダヤ人を絶滅収容所に輸送するような残虐行為ができてしまうことを裏付けたのです。

指令者がいなくても

一方、1971年のジンバルドーの実験は監獄実験と呼ばれます。大学の地下実験室を刑務所のように改造し、一般の応募者から21名の被験者を選びました。11名を看守役、10名を受刑者役に振り分け、囚人らしい衣服に南京錠付きの足枷を足首にはめる等リアリティの演出に様々な工夫を施します。すると、開始からまもなく、看守役が受刑者役に対し「自主的に」罰則を考案し実行するようになっていきました。便器を素手で掃除することを強制したり、バケツへの排便を指示したり、事前に禁止事項としていた暴力まで振るうようになります。受刑者役の被験者が抵抗を示しても看守役はやめようとしません。

「闇」は、ジンバルドー自身にも降りかかっていました。あまりに残虐な看守役の行為を心配した周囲は彼を諌めますが、なかなか実験を中止しようとはしなかったのです。心理学者でもあった恋人の指摘でようやく我に返り、実験は1週間ほどで中止となります。中止が決まると、看守役の中には「2週間と聞いていたのに話が違う。予定通り続行したい」と不満を示した者もいました。

ジンバルドーは「人間の心理を追求するため、実験者としての役割をまっとうしなければいけないという思い込みに支配されてしまっていた」「危険な状態であると認識できなかった」と述懐しています。

この実験では、指令者がいなくても、実験という大義名分が与えられ、その環境に適応してしまうと、人はあっさり良心を捨て、与えられた環境に流されてしまうことが示されたのです。

そこに加わる日本人の性格

先の実験は、イェール大学とスタンフォード大学で行われたものです。アメリカは個人主義傾向が強い国、日本は集団(社会性)の維持を優先する国といわれます。個人主義の国でこの結果なら集団主義の国ではなおさら、と心配になります。もっとも、国に関係なく私自身は「空気を読む」ことに慣れてしまっていると自覚しており、集団主義的傾向を自認しています。

実は裏付けもある日本人共通の特性

2014年にサイエンスに発表された論文によると、中国の、麦作地域と稲作地域で人々の社会心理に個人主義と集団主義の違いが見られたそうです。他の農家と連携しなくても栽培できる小麦と、用水路の整備をはじめ周囲との協力なしには育てられない米との違いのためであろうと、著者のトマス・タルヘルムは推測しています。日本は稲作中心ですから、集団主義の素地があります。

【参照】 THE WALL STREET JOURNAL (2014.6.2)

加えて、地震や台風など災害に見舞われやすい自然条件により、まわりと協調した予防的対策を講じる必要もある日本においては、更に集団主義が促された面もあるでしょう。

その結果といえるでしょうか。神経伝達物質セロトニンに関するデータは、日本人が心配性であることを裏付けています。セロトニンは不安を感じにくくする物質のため、それが少ないと不安を抱きやすくなります。失敗に対する恐怖心も大きくなります。脳内でのセロトニン合成はタンパク質のセロトニントランスポーターの密度と関連し、その密度を決める遺伝子を調べると、日本人の密度は世界でも突出して低いそうです。

【参照】 新潟市医師会 日本人と不安

一方、京都大学の高橋英彦は最後通牒ゲームを通した実験で、「セロトニントランスポーターの密度が低い人ほど、実直で正直で他人を信頼しやすい性格傾向にあり、その結果、不公平に直面した際に、取引を台無しにしてまで、不公平に対する義憤を実直に拒否(報復)として行動に移す傾向にあること」を明らかにしています。日本人は、詐欺に騙されやすくキレやすくもあるといえそうです。

【参照】 京都大学 (2012.2.28)

「ブレーキ」や「我に返るスイッチ」を持つ

それを自覚するなら、日本人がせっかく有する心配性の性格を活かし、流されそうになる自身を諫める道具や習慣を何か持っておきたいものです。暴走への心配がある私が「エビデンス対話 = 根拠を大切にした思考手順」を自身に課すのは、これまで多くの直感(という名で、実態は思考停止)による失敗や選択の間違いを重ねてきたからです。それが大事故にならずに済んだのは、たまたま今までがさほどVUCAではなかったからで、従来のやり方をただ当てはめただけでもそれなりに収まっていたからです。今後は、一つひとつをより丁寧に、しかしあまり時間をかけずに処理していくことが求められるでしょう。子どもたちに、思考することを習慣づける活動として探究に取り組んでもらいたいのは、そのためでもあります。

10歳からわかる「まとめ」

・人間の脳は楽をしたがる。いちいち考えないことを好む傾向にある

・一方、人間は、一旦思考停止を起こすと、とんでもない残虐行為もできてしまう

・特に日本人は遺伝的にまわりに流されやすい性格を持っているといえそうだ

・思考停止を避けるため、自分なりの工夫を施しておくのが良いだろう

・エビデンスを活用した思考・自己対話を習慣づけることは、その一つの方法になるかもしれない

以下、余談です。

「幸福」とは

ここ数回、「幸福度」や「幸福感」という言葉にこだわって書き進めています。Well-beingに注目が集まる中、似た言葉であるHappinessが、両者の違いという文脈で取り上げられることも増えてきたと感じます。肉体的・精神的・社会的に満たされた状態のWell-beingに対し、Happinessは一時的な幸せの感情を指すという説明を目にします。

ここから、ある思いを抱きました。ひとつ目は、幸福度・幸福感の議論が巷で盛んですが、「一時的なもの」の計測はタイミングの選択が難しいだろうということ。と同時に、それら個別を合算集計して県や国で比較することに意味はあるのかという疑問。ふたつ目は、「目指すものがあること」は幸せに必須の要素だろうと思うこと。精神的に満たされるのに「前向きの渇望感」が必要なら、肉体的・社会的に満たされた状態と精神的に満たされた状態を両立させるのは、簡単ではなさそうです。

第28回「前向きの渇望感を探究に活かす」を読む