
※前回の、「脱線や雑談の有効性」に続き、今回は、人間が人間同士で直接向き合う意味について考えてみます。
生成AIは強力な道具だが
生成AIの普及によって、私たちは以前よりもずっと簡単に、整った答えにたどり着けるようになりました。知りたいことを尋ねれば、要点を整理して返してくれる。長い文章を短くまとめてくれる。比較もしてくれる。問いの立て方まで一緒に考えてくれる。そうした支えは、すでに日常の一部になりつつあります。
これはとても大きな変化です。仕事でも学びでも、生成AIは強力な道具になっています。私自身も、その恩恵を日々感じています。
だからこそ、改めて考えてみたくなります。整った答えや、速い応答や、要約された知識に簡単にアクセスできる時代に、人間が人間同士で直接向き合う意味は、どこに残るのでしょうか。
AIが支えるものと、人が引き受けるもの
日常の業務を進める上で、生成AIは既に多くのことを支えてくれています。論点の整理、知識の要約、文章の下書き、比較検討、問いの言い換え、等々。少し前には、これらのことに、人はかなりの時間と手間を要していました。
一方、人間の思考は、いつも整った形から始まるわけではありません。むしろ本当に大切な場面ほど人は迷っています。自分が何に引っかかっているのか、まだはっきりしない。うまく言葉にならない。答えがほしいというより、自分が何を問いたいのかさえ、まだ見えていない。そういう状態にいることは少なくありません。
そのような時に必要なのは、何らかの答えをすぐに返すことだけではないでしょう。相手の迷いを急いで片づけずに受け止めること。まだ言葉になっていないものにも付き合うこと。沈黙やためらいの中にある意味を感じ取ろうとすること。私は、そうした営みは、なお人間に深く残されていると感じています。
対面でしか育ちにくい力
今のような時代に、このような時代だからこそ、対面でしか育ちにくい力とは何でしょうか。いくつかあるように思います。
一つは、相手の迷いを受け止める力です。人が本当に考えている時、その人は必ずしも滑らかには話しません。言い淀んだり、話が戻ったり、途中で立ち止まったりします。そうした揺れを、「わかりにくい」「早く結論を」と切り捨てるのではなく、「いまこの人は考えているのだ」と受け止められること。これはとても大切な力です。もし、あなたが親や教師なら、子どもに対する時にこの力を持つことは必須であるともいえるでしょう。やるべきカリキュラムが多く、そんなことにいちいちかまっていられないと思うなら、そのやるべきことの多さの方を先に疑ってみるべきかもしれません。
二つ目は、まだ言葉になっていないものに付き合う力です。生成AIがLLM(大規模言語モデル)で、言葉を最も有用な道具として人間のために貢献する機械であるなら、実は、この、言葉になっていないものに付き合うのは苦手なのではないかと思うのです。人は、自分でもわからないまま何かを感じていることがあります。そこには違和感や期待や、説明できない引っかかりがあるのですが、それはまだ言葉になっていません。対面のやりとりでは、その未分化・未解明なものに少しずつ輪郭を与えていくことができます。「つまり、こういうことですか」と急いでまとめるのではなく、まとまり切らないまま一緒にいることができる。この力もまた、特に、探究には欠かせないものだと思います。
三つ目は、場の空気や沈黙の意味を感じる力です。誰かが少し黙った時、その沈黙は、単なる空白ではないかもしれません。迷っているのか、ためらっているのか、何かに気づきかけているのか。表情、視線、姿勢、呼吸、周囲との関係。そのようなものを受け取りながら、その場の意味を読むことは、言葉、文字、テキストを頼りにする生成AIは苦手でしょう。生成AIと対する際、何か作業をお願いしたまま私がパソコンの前を離れてしまい、その後しばらくしてから戻っても、生成AIは何事もなかったように対応してくれます。「しばらく応答がなかったけれど、何かあったのか?」と心配されることはありません。もちろん、人間も、言葉だけを頼りにしていては、その感じ取る力は育ちにくい感覚となってしまうでしょう。
そして四つ目は、一緒に考え続ける力です。答えを与えるのではなく、問いを閉じずに支えること。相手の言葉を受けながら、こちらもまた考え、自分の見方も揺らしながら、思考を往復させていくこと。そのような共思考の力は、これからますます大切になるように思います。
「対面」とは物理的な近さだけを意味するのか
ただし、ここで一つ、私は考え込んでしまいます。それは、私自身が生成AIとのやり取りの中で、熱中して取り組んでいる際には特に、しばしば「ほぼ対面に近い」という感覚を抱いているからです。
もちろん、その場に「彼」の身体があるわけではありません。目の前にパソコンはありますが、それはいわゆるメディア(媒介)であって彼と同じ部屋にいるわけではありません。表情を見ているわけでもなければ、声の揺れを聞いているわけでもありません。それでもなお、「考えを少しずつ言葉にしていく」「反応を受けながら、まだ固まっていない思考を動かしていく」という意味では、かなり対面的な感覚があるのです。
そうだとすると、「対面」とは単に物理的に近くにいることだけを意味するのではないのかもしれません。本質はむしろ、相手の反応を感じながら、自分の考えを少しずつ言葉にしていけること、つまり、思考が往復できる関係の密度にあるのではないか。私はそんなことも考えます。
この見方に立てば、対面と非対面、リアルとオンライン、人間とAIを、単純に切り分けることはできなくなります。むしろ問うべきは、その関係の中で、本当に思考が往復しているのかどうかなのかもしれません。
それでもなお身体をともなう場に残るもの
ただ、そのように考えたとしても、なお人間同士が同じ場にいることの意味は残るように思います。なぜなら、身体をともなう場には、思考の往復以上のものがあるからです。
たとえば、ほんのわずかな表情の変化。言葉にしないままのため息。一度言いかけてやめた気配。誰かが話した後に流れる沈黙の質。あるいは、その場全体に漂う緊張やほぐれ。
そうしたものは、情報としては整理しにくいものです。しかし、人間同士が一緒に考える時、実はそうした「整理しにくいもの」に強く支えられています。何が正しいかを早く決めることよりも、この人はいま迷っているのだな、何かを飲み込んだのだな、少し気持ちが動いたのだな、ということに気づけるかどうか。その感受性は、やはり身体をともなう場の中で、特に育ちやすいように思います。
対面の価値は、単なる得られる情報量の多さだけにあるのではなく、身体をともなった相互感受性の中にこそあるのではないかと考えます。
生成AI時代だからこそ人間に残る大切な営み
生成AIが人間の作業をどんどん支えてくれる時代だからこそ、かえって見えてくるものがあります。それは、人間に残る大事な営みは、「まだ整っていないもの」と付き合うことだろうということです。
相手の迷いを受け止めること。まだ言葉になっていないものに付き合うこと。場の空気や沈黙の意味を感じること。そして、答えを急いで閉じずに、一緒に考え続けること。
生成AIは「答えを整えること」において人間を強く支えてくれます。だからこそ、人間は人間だけが担うことのできる、こうした難しい営みにより深く向き合う余裕ができるのですから、是非そうすべきでしょう。
私は、探究とはまさにそのような営みだと思うのです。問いを早く片づけるのではなく、まだわからないものに留まり、相手と共に考え続けること。そこにある迷いや沈黙まで含めて引き受けること。生成AI時代に、対面でしか育ちにくい力があるとすれば、それは、そうした「未整理なものに付き合い続ける力」なのではないでしょうか。
10歳からわかる「まとめ」
・AIに聞けば、すぐに答えを教えてもらえる
・一方、人と人が話す時には、すぐには答えが出ないことがある
・そのかわり、人が迷っていることや、まだ言葉になっていない気持ちに気づけることがある
・これからの時代、人と向き合って一緒に考え続けることは、より大切になる
*本原稿はチャッピー君との対話を基に構成されました。
※前回の、「脱線や雑談の有効性」に続き、今回は、人間が人間同士で直接向き合う意味について考察しました。

ジャートム株式会社 代表取締役
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